●舟歌●


冷たい床の上に押しつけられたことよりも、好きだと告白する声の苦しそうな響きに戸惑
った。
自分も大地のことが好きだ、と思う。けれどその感情は昼の空に雲があるように、夜空に
星があるように、ごくごく自然で暖かい気持ちで、にがさや苦しさは伴わない。だから、
どうして大地がそんなに苦しそうにしているのかと、不思議で。
「…大地」
肩を押さえつけられ、体重をかけてのしかかられているからあまり身体は自由にならない
けれど、手は動かせる。その手を律はそっと大地の腕にかけた。
「…俺を好きでいることは、大地にとってそんなに苦しいことか?」
「……っ」
大地は虚を突かれた顔をして息を呑んだ。
「…俺は、逆だ。大地を思うと、今まであまり得意ではなかった柔らかい曲や、平易だけ
れどしみじみと優しい曲が、どんどん上手く弾ける気がする。大地を思うと、あたたかく
てゆるやかな思いで胸が満たされて、みちたりて、とても安らぐ」
「……律」
「俺は大地もそうなのだとずっと思っていた。……だが、もしかしたらちがうのか?…二
人でいると幸福で胸が震えるような思いがするのは俺だけか?」
「………。……いや」
大地は泣き出しそうな顔をした。
「……いや。俺も」
ぎゅっと一度固く目をつぶって。
「俺も幸せだよ。…どうしようもなく幸せだ。…でもそれは、俺の勝手な気持ちかと」
「何故?…一緒にいて大地が幸せなら、俺も幸せだと思うのが普通だろう?」
「……そうか」
「そうだ。どちらか片方だけが幸せなんて、変だ」
律を押さえつけていた大地の手がゆるむ。完全に自由になった手を、律はゆっくりと大地
の背中に回した。
「俺も大地が好きだ。改まって言わなきゃならないなんて、思ってもみなかった。とっく
に伝わっているものとばかり」
引き寄せれば、ぐらりと大地が倒れ込んでくる。抱きとめて、抱きしめて、…律は、眼鏡
の奥でうっとりと幸福そうに目を閉じた。
「あたたかくて、心地良い。……大地は?」
「……ああ。……俺も」
かすれた声ではあったが、先ほどまでの苦しさは薄れていた。律は唇をほころばせる。

音がないはずの深夜、耳に幻のようにリヤドフの舟歌を聞きながら、律は大地を抱きしめ
る手に力を込めた。