●星の運命● 柊が幼い頃を過ごした郷は、村はずれに川があった。街道に出るにはその川を渡らなけれ ばならない。 郷では、川を、…厳密にはその川に架かる橋を渡ることが出来るのは、一人前の成人とみ なされた者だけとされていたのだが、その禁忌は子供達にとってはいい力試し兼遊びにな っていた。 悪ガキ達は大人の目を盗んで何とか橋を渡ろうとする。…が、何故か必ず、実行しようと する前に親に捕まって用事を言いつけられたり、よその大人に見つかって畑から怒鳴られ たりして、冒険を完遂できた子供は一人もいなかった。 柊はその企みに参加したことは一度もなかった。郷の外に興味がないわけではなかったが、 そうやって度胸試しのように橋を渡ろうとするのはくだらないこととしか思えなかったの だ。 …しかし、橋の方では柊を待ち受けていたのかもしれない。 ある朝、祖父から使いを言いつかった柊が郷を横切るように歩いていると、畑から何かが 飛んできた。 「わあ、手巾が!」 汗でもぬぐおうとして、うっかりして風に飛ばされでもしたものか。大声を上げてどたど たと、男が必死の顔で畑から走ってくる。 布は貴重品だ。無理もない。だが彼の速度では、布に追いつくより先に、布が風に飛ばさ れて川に落ちるか谷に消えるか。 …とっさに柊も、手巾を折って走り出した。 ……橋の禁忌のことは頭から飛んでいた。必死に手巾を追いかけ、つかまえて、…はっと 気付くと柊は橋を渡りきっていた。 「……っ!」 恐る恐る振り返ると、橋を渡りかけた場所で、手巾を追いかけてきた男が奇妙な顔をして 自分を見ていた。 −……怒られるだろうか。 しおしおと郷に戻り、手巾をそっと男に差し出すと、男ははっと我に返った顔で、柊から 手巾を受け取った。 「…ありがとう」 彼は静かに礼を言い、橋を渡った柊を怒りはしなかった。……どころか、奇妙なことを言 い出す。 「…柊。…橋を渡り切れたことを、村長様に報告しておいで。……この俺が、…桐彦が証 人だと言えばいい」 柊は戸惑った。 「……でも」 男は少し奇妙なほど大真面目な顔をしている。 「怒られたりしない、大丈夫だ。……行っておいで」 穏やかだが、その声には有無を言わさぬ響きがあった。 「……。……わかった」 不承不承、柊は歩き出した。わかったと口では言いながらも、状況はさっぱりつかめぬま ま。 ……見送る男が背後でぼそぼそとつぶやいていた言葉も、聞こえないままに。 桐彦は、遠ざかる柊を見送りながら、はあ、と一つため息をついた。 「……儀式をすませていないのに、橋を渡りきる、か」 がしがしがしと、今度は頭をかく。 「……柊。…きっとお前が、選ばれし残る者、なんだろうな。……一族が住み処を移し、 隠れ逃げても、お前一人が世に残って、星の一族の言葉を伝え続ける……」 もう一度ため息をついて、彼は天を仰ぎ、言霊を捧げた。 「…それはきっと辛く苦しいことだろうが、……辛いことばかりではないようにと、俺は 祈る。…どうぞ、蜜のように甘く優しいアカシヤも、お前の上に降るように」 柊は長の元へと歩いていく。その先に待ち受ける喜びも悲しみも、…そのとき彼はまだ知 らない。