●一葉のしおり●


連れだってロビーを出て行く蓬生と東金に背を向けて、俺はエレベーターに乗り込んだ。
裏切られたと感じてしまうのは、恐らくお門違いな感情なのだろう。俺は元々、蓬生の中
の優先順位を知っていたのだから。
……物事が、収まるべきところに収まった。…ただそれだけのこと、だ。

深夜のエレベーターに、途中のフロアから乗り込んでくる人間は誰もいない。俺は無意識
にエレベーターの一角を睨み付けていた。…これ以上心を揺らさぬよう。……これ以上思
いを残さぬよう。
エレベーターが減速し、ゆらり、身体がかしいで気付いた。…コートのポケットが少し重
い。
ちん、と音を立てて開いたドアから出ながらコートのポケットを探ると、薄い文庫本が一
冊入ったままになっていた。現代俳人の句集だ。
「……」
蓬生が読みかけていた本を、ねだって借り受けたものだった。彼が読んでいたその場所に、
しおりを一枚挟んだままだ。
しおりが挟まった頁には、別れの句。皮肉さに、俺はうっすら笑った。
恋の形見にこの本一冊、もらって消えてもいいだろうか。未練と痛みとを頁の隙間に挟み
込んでしまえるように。
いつか時を経て、重ねた月日も挟み込んだ思いも一葉のしおりになるだろう。押し花のよ
うに乾いて、きれいなかけらになるだろう。
今はまだ、振り返ることすら出来ないとしても。