●卵焼きは醤油味●


「おはよう、いい匂いだね、卵焼き?」
言いながら、風早がひょいと台所に顔をのぞかせた。
「今日は那岐が朝食当番か。じゃあ、しょっぱい卵焼きだ」
「あたり」
言って振り返った那岐は、あれ、と一つまばたきした。のぞき込んでいる風早が、既にき
っちりスーツを着込んでいたからだ。
「まだ朝早いのに、何でその格好?」
「ごめん」
風早は片手で那岐を拝んだ。
「今日、門の立ち番で、いつもより早く行かないといけないのを忘れていたんだ。もう出
るよ」
「朝ご飯は?」
「だから……ごめん」
もう一度風早は拝むそぶりを見せる。那岐はしかめっ面をつくった。
「忍人のバイトは聞いてたけど、風早は聞いてない。…いつも、僕や千尋には朝をちゃん
と食べろってうるさいくせに」
「うん、ほんとごめんね」
「……。…いいよ。しょうがない」
那岐は流しに向き直った。
「ごめんね」
もう一度繰り返して、風早は玄関に向かった。靴をはいていると、台所からふくれっ面の
まま那岐が出てくる。
「…はい」
差し出されたのは、小皿にのった卵焼きだ。
「朝何も食べないのは体に良くないっていつも僕らに言うのは風早だろ。…まだちょっと
熱いけど、今日は手でつまんで食べられそうなものはこれしかないんだ」
風早は目を瞠って、…それから花が咲いたように笑った。
「ありがとう、那岐」
わしわし、と頭を撫でられ、那岐は、
「痛い!」
と声をとがらせた。
「…いいから、早く食べて早く行きなよ。新人が遅刻しちゃまずいだろう」
「あ、そうだった。……うん、おいしい」
言葉の後半は、卵焼きを口に放り込んでもぐもぐやりながらつぶやいた。
「元気が出たよ。いってきます」
からりと風早が開けた玄関から、ふわりと朝の風。そのまま駆け足で出て行く風早を見送
って、ため息を一つついた那岐は、そっと、風早にかき回された頭の上に手を載せてみた。
「…感情表現がオーバーなんだよ、風早は」
口では悪態をつきながら、その瞳は穏やかに笑っていた。