●ごほうび● 「千尋?…何してるんだ、こんなところで」 居間から台所へ飲み物を取りに出た那岐に声をかけられ、階段に腰かけていた千尋は顔を 上げた。 「ちょっと酔っちゃって」 「…は?……酒呑んだのかよ」 豊葦原の基準では、ほぼ全員が成年ということもあり、居間のテーブルには酒瓶も並んで いる。が、千尋は違うよと言って笑った。 「人に酔ったの」 「……ああ、なるほど」 那岐は苦笑含みで瞳をすがめ、肩をすくめた。 「…確かに、あの人数がうちの茶の間に入りきるなんて、思ってもみなかったよ」 禍日神を倒して橿原宮を取り返してふと気付いたら、千尋達はなつかしい異世界のこの家 にいた。八葉の仲間たちと共に、だ。 風早は、 「ごほうびかもしれませんね」 と笑った。 何のだよ、と那岐は素早くつっこんだが、千尋はこっそり、そうかも、と思った。 −…何度もよく頑張ったね、って、…龍神が言ってるのかも。 でもこれはきっと、夢なのだ。現実だけれど、夢。みんなの記憶に残る夢。今夜眠ってし まえば、千尋達はきっと、橿原宮で目を覚ます。おっかしーなー、異世界に行ってたはず なのに、と、サザキは大声を上げるかもしれない。でも、どんなに首をひねっても、どん なに抗っても、もう二度とここには戻ってこられない。……だから、この一日は現実でも あるけれど、きっと夢のようなものでもあって。 「…千尋」 那岐の声がかすかにうろたえた。 「?」 まばたきして気付く、ほろりと頬にこぼれるしずく。 …自分は泣き出してしまったのか、と、妙に冷静に千尋は考えた。 「…大丈夫、ごめんね。…なんでもないの」 −…そう、これが夢でもいい。…この一日を心に星のように抱いて、生きていこうと思う。 遙かなる時空の向こう、私の生まれたあの国で。