●名残の花● 食事をしての帰り道、ホテルまでの道の途中で蓬生がふと足を止めた。 「……?…どうした?」 「いや、…あそこのビル。…玄関の前に、花がおいたあるなと思て」 深夜のことで光源は少ないが、蓬生が目を止めたものに大地もすぐ気付いた。花と言って も、花束などではない。見ようによってはどこかから遊びで折り取られて捨てられたとも とれる花一輪。夜目にも鮮やかなオレンジ色の花だ。 大地の考えを先回りするように、蓬生がつぶやいた。 「アルストロメリアや。…子供が遊びで摘んでくるような花やない。誰かが意図してあそ こに置いたんやろけど」 大地は改めて花の置いてあるビルを見上げた。…看板に揚げられたビル名に覚えがある。 「確かそこは、少し前に廃ビルになったんだよ。昔からある古い建物なんだけど、老朽化 がひどくて。……もうすぐ取り壊されて、新しいビルを建てる工事が始まるはずだ」 「……誰か、ここを大切に思とった人がいるんやろな」 蓬生はビルを振り仰いだ。見上げるほどの高さではない。四階建てのちっぽけなビルだ。 ……それでも。 「ここは誰かに、大切に愛されとった場所なんやな。……名残の花か」 「……」 しばらくとくとくとビルを見つめてから、ようやく蓬生は大地を振り返った。 「…辛抱強いんは、君の美徳やな」 「…何のことだい」 「こういうとき、無理にせかんと横にいてくれる。……俺は、君のそういうとこ、結構好 きや」 大地は思わず目を丸くした。 「…珍しく、俺に優しいね」 さしのべた大地の手を、蓬生が素直に取る。誰も見ていないという安心感が、蓬生をいつ もより素直にしているようだ。 「……」 「…今日だけ、な」 「…今日だけって限定するところは、いつもの土岐だな…」 ひそやかな忍び笑いとつながれた手を、一輪の花だけがそっと見ていた。