●雷注意報●


「雷注意報だ」
大地が笑みを含んだ声でつぶやいた。え、とかなでが顔を上げると、ウィンク一つして視
線をそっと向こうへ流す。かなでがその方向を見たとたん、
「そんなの俺の勝手だろう!?兄貴に言われたかねえよ!」
響也が怒鳴った。
かなでは思わず額を押さえる。何も、これから遠出しようかという駅のホームで朝っぱら
からケンカしなくても。
しかし、響也に怒鳴りつけられている律は涼しい顔だ。弟に向かって雷を落とす気配はな
い。
「あのう、大地先輩」
「何かな、ひなちゃん」
「雷注意報って…」
言いかけたとたん、ふと大地が目を細めて、
「あっち。……そろそろ落ちそうだよ」
しゃくったあごがさしたのは、響也でも律でもなく。
「いいかげんにしてください、響也先輩!公衆の面前で非常識です!!」
……ハルだ。
「ほらね。…身体は小さいけど雷は特大だ」
「…みんな、ハルくんに注目しちゃいましたね」
「全くだね。……響也のことを怒っておきながら、自分のことは見えていないもんなんだ
な」
なんだか大地の言い方が他人事のように思えて、かなでは思わず、
「放っておくんですか?」
と問うた。大地は肩をすくめる。
「放っておきたくはないけど、俺が出るとたぶんハルは余計にかっかするからね。…そっ
ちは任せようと思って」
かなでに向かってつぶやきながら、瞳はかなでを見ていない。誰を、と思って視線をたど
ると、その先には律がいて、眼鏡の奥の瞳を細めてかすかに笑んだ。
「ひなちゃんは、ちょっとここで待っててね」
大地がぽんとかなでの頭の上に手を置いてから動き出すのと、律が口を開くのはほぼ同時
だった。
「響也を注意してくれてありがとう、水嶋。…ただ、公共の場だから声はもう少し控えめ
でいい」
律の言葉にハルはぱっと真っ赤になった。
「すみませ…」
謝る声が裏返って高くなりかけて、
「…すみません」
小声で言い直す。響也がその様子をからかいはしないかと、かなでが焦って目を向けると、
いつのまにか大地が響也の傍に立っていて、何かぼそぼそと耳打ちしているところだった。
響也がちらりとかなでを見る。…そして、
「…わかってるよ」
ぷいとそっぽを向いたものの、怒りの衝動は抑え込んだようだ。大地が律と目配せし合っ
てから戻ってくるのを待ちかねて、かなでは二歩、前へ出る。
「響也に何を言ったんですか、大地先輩」
「ん?…君と律がケンカするとひなちゃんが心配するよ、ってね。…ちょうどいい感じに
不安そうな目でこっちを見ててくれて効果絶大だったよ」
「……」
「…何だい?」
「…いえ。…大地先輩と律くんが引退しちゃったら、オケ部どうなるんだろうって、…ち
ょっと」
「はは」
大地は短く笑った。
「何とかなるよ。…俺と律だって最初からこうだったわけじゃない」
「…」
「心配しないで。上手くいくよ。君が手綱を持てばいい。うまく引いたりゆるめたりする
勘所はおいおい教えるよ。…今みたいにね」
「…荷が重いです…」
大丈夫だよと笑って背中を叩いてくれる手は暖かかった。大丈夫かも、と思わせてくれる
暖かさだ。気付くと律がかなでを見ていて、目が合うとかすかに微笑んでくれた。…その
目は、今のかなでの気持ちがよくわかると言っているようで、部長になったばかりの律も
こんな風に助けられていたのではないかしらと、…ふと思った。