●柱時計● 「じゃあ帰るよ」 大地は菩提樹寮のホールから階上を見上げて言った。階段を上りきったところに律がいて、 大地の言葉に応じて静かに手を上げる。 「今日はすまなかった」 律は少々神妙だ。練習に熱が入ってついうっかり手を使いすぎてしまい、大地がわざわざ 寮まで手当のために緊急出動する事態になったのだから無理はないのだが。 「俺には気をつかわなくていいよ。でも、手はもうちょっと労ってやってくれ。今夜はも う左手は使わないこと」 「わかった。約束する」 こくん、と、少し幼い仕草で律がうなずいたとき、ホールの柱時計が時を告げ始めた。ボ ーン、ボーン、と、古めかしい重々しい音が十一回鳴り響く。 「…もう深夜だな」 「そうだね。…急いで帰るよ。おやすみ、また明日」 「ああ、また明日。おやすみ」 他愛ない挨拶を、あと何回交わせるだろう。一年もたたないうちに、彼と己の道は離れて いくのだ。せつなくて、…その切なさが顔に出てしまって律に悟られるのが怖くて、大地 はそっと彼に背を向けた。 「……また明日ね、律」 彼の名を呼べる幸せを、宝石のようにそっと胸にしまって。…見上げる夜空に、細い三日 月。