●虹の彼方に● 大地は、午後の回診と夕方の診療の間の短い休憩時間に、食事をとりに外へ出た。病院に も食堂はあるし、実際いつもはそこで手早くすますのだが、今日は少し外の空気を吸いた い気分だったのだ。 遊歩道を歩きながら、今日は朝から全くメールをチェックしていないことを思い出して私 物の携帯を取り出す。何気なく未読メールの列を眺めて、中の一つのメールに、…正確に はその差出人の名に、どきりと胸が震えた。 「……律」 それは、遠く離れた場所で己の夢を追いかける、大切な友からのメールだった。彼は元来 が筆無精と見えて、自分からメールを送ってくることはほとんどない。大地からメールを 送っても、「そうか」とそっけない返信がせいぜいだ。 そんな彼がわざわざ自分からとは、一体何事かと慌てて開いたメールには、添付ファイル がついていた。 「……?」 開いてみると、灰青色の空の写真だ。 「……?」 本文に目を落とす。 “虹は、見えるだろうか?” メールは、そんな言葉で始まっていた。 「……」 もう一度写真を見て目をこらすと、…確かにその灰青色の空には、淡い虹が大きな弧を描 いている。 本文は、とても綺麗な虹が見えたので大地に見せたくなって写真を撮った、だが写真に撮 ってみると、肉眼で見たようには美しく見えない、残念だ、といったことが書かれてあっ て、…数行開けて、一言、そっと付け加えられていた。 “大地のヴィオラで、『虹の彼方に』が聞きたい。” 「……っ!」 それは照れ屋の律の、精一杯の「会いたい」のように思えた。 大地は、淡い虹の写真ごと、携帯をそっと胸に押し当てる。愛しい人をかき抱くように。 −……虹の橋が、君のところへ連れて行ってくれればいいのに。 雨の気配すらない横浜の街は、大地の思いも知らぬげに、美しい茜色の夕映えに染まって いる。