●月食●


「先刻から窓の外を気にしているようだが、何かあるのか?」
背後から静かに律に問われて、大地は悪戯が見つかった子供のように首をすくめた。
「ごめん。雲の切れ間を待ってたんだ。今夜は部分月食が見られるはずなんだよね。……
どうも無理みたいだけど」
菩提樹寮の部屋の窓は、正直余り見晴らしがいいとは言えない。かててくわえてこの部厚
い雲だ。今夜は諦めるしかないだろう。
律は大地の返事に眼鏡のブリッジを少し押し上げた。
「大地は、好きだな。…星とか月とか」
「まあね」
にこりと笑って応じて、…ふと、ひよひよと、心の隅っこが寂しいことに大地は気がつい
た。原因は、己に問うまでもない。
「……寛大だね、律は」
つい、その言葉が口をついて出た。
「わざわざ部屋に泊まりに来た俺が、窓の外ばかりを気にしてること、怒らないのかい?」
律は、眼鏡の奥で二〜三度まばたいた。…そして、ブリッジを押さえながらうつむく。
「…これが大地じゃなかったら、声もかけなかった」
「……っ」
「…お前だから、声をかけたんだ。…俺がここにいると、思い出してほしくて」
「……っ」
大地は窓辺に寄せていた椅子から腰を浮かせた。そして、自分の言葉を恥じるようについ
と顔を背けた律の、…その、男性にしては少し華奢な肩にそっと手を伸ばし、はっと振り
返ろうとした隙を突くように眼鏡を奪う。
「…だ」
なにやら抗議の声を上げかけた律の機先を制し、言葉ごとその唇を奪う。…抵抗は、なか
った。
抱きしめた体の柔らかな体温を感じながら、自分が焦がれ見上げるものは彼だけでいい、
と思う。やがて部厚い雲がほんの少し切れて、夜空に月の光がこぼれたけれど、二人はも
う外を見なかった。