●新月闇●


大地と律は、寮までの道をのろのろと歩いていた。時に深夜。あってなきがごときとはい
え寮の門限はとっくに過ぎており、住宅街もそろそろ寝静まる時間だ。
夏の闇は濃い。
「こんな時間までつきあわせて、ごめん、律」
定演のメンバーの選抜は明日に迫っていた。音楽科の生徒に比べて練習時間にハンデがあ
る大地のために、律は積極的にコーチ役をかって出てくれている。
「いや。…大地の練習を見るのは、俺にもいい勉強になるから」
かすかに微笑んで空を見上げた律が、ふと、あ、とつぶやいた。
「…?何だい?」
「…天の川だ」
「……あ」
言われてふっと空を見上げた大地も、思わず同じ感嘆をもらした。
新月で、かつ時間的に地上の灯りも少ないからだろう。
普段あまりこのあたりでは見えない天の川が、今夜はかろうじて、「ああ、あれがそうか」
と思える程度に確認できる。
「ここでも見えるんだな」
律の率直なつぶやきに、大地は苦笑した。
「ミルクをこぼしたように、とはいかないけどね。…律の家のあたりなら、もっとよく見
えるんだろう?」
「ああ。…街灯も少なかったし、空気も澄んでいるから。…もう少しはっきり見えたよう
に思う」
優しい顔で、律は笑う。
「星の曲を弾きたくなるな。ホルストの惑星や、シュトラウスの天体の音楽」
「俺にはまだきらきら星が精一杯だなあ」
「きらきら星もいい。誰からも愛される親しみやすいメロディだ。…今度デュエットであ
わせてみようか」
「…相手が俺でいいのかい?」
「こんな気まぐれにつきあってくれるのは大地だけだ」
さらりと言い放ったくせに、ふとはにかむように笑う。…その律の仕草が、大地の胸にぐ
っときた。
「…」
「一緒に弾こう。…いや、…弾いてくれるか?」
「…もちろん」
喜んで。…そう答えると、律は、うん、と静かにうなずいた。
通り過ぎる公園のベンチに、誰かの忘れ物だろうか、七夕飾りと短冊が置かれている。誰
が何を願った短冊だろうか。

−…俺は。俺なら。

大地は天の川を、その川に堰かれて会えない恋人達の星を、見上げた。

−…どうか、いつまでも、こうして律と一緒に。

無理とわかっている願いをそっと星にかける、新月闇。