オトモダチ


通りすがりにふと見かけた、小さなショウウインドウに目を奪われた。
見知らぬ街の、見知らぬ店。夕方の赤い光に照らされて、きらり光をはね返すそれは、き
っと彼の気に入るだろう、と。
だが、長くは足を止めておけなかった。道連れは慣れた道をすたすたと先へ行く。大地は
少し足を速めて土岐に追いついた。
一泊二日で神戸を訪れている大地達は、何人かに別れて神戸の街を観光中だった。どんな
運命の悪戯でか、土岐と天宮と行動を共にすることになった大地は、異人館をめぐって北
野の街を歩き回っていた。いつのまにか天宮は姿を消していたが、ホスト役として責任を
感じているらしい土岐は、思ったより真面目に街を案内してくれている。
ブロックの区切りに当たる信号でようやく足を止めた土岐に、大地はさりげなさを装って
口を開いた。
「あのさ。俺、ホテルに入る前にコンビニで買いたいものがあるんだ。…だから、ここで
解散にしないか」
提案された土岐は眉を上げた。そして、ふっと笑う。
「そんなんで嘘ついてるつもりなん、榊くん。…へったくそにもほどがあるわ」
…もどろか。
きびすを返されて、大地は慌てた。
「いや、あの…」
「コンビニやないんやろ。……どの店。つきあうわ。……どうせ俺と君の二人だけや。天
音の副部長さんはとっくにどっか消えてもうたし、山組と港組がホテルに戻ってくるには、
まだだいぶん時間かかるやろ。ロビーでぼうっと待つより、君の買い物につきおうた方が
まだ気が紛れる」
「……」
返す言葉がない大地を無視して迷いもなく来た道を戻り、
「…ここちゃうん」
足を止める。気にしていたショウウインドウをあっさり言い当てられて、大地は笑い出し
てしまった。
「…参ったな、お見通しだ」
「ここで、足が止まりかけてちょっと遅れたやろ、榊くん。…気になっとってん。寄りた
いんやったら寄るって言うてくれたらいいのに、何も言わんとついてくるから」
大地は思わずまばたきを二度繰り返した。
「…意外と気配りをするんだな。……俺にまで」
「失敬やな。…もてなしてる立場や、いうんはちゃんと認識してるわ、俺かて。…ま、相
手が君ちゅうんはちょっと不本意やけど」
不本意か。
目を合わせて、…互いにぷっと吹き出す。
…とりあえず、店の前でごちゃごちゃ言うてんと、中に入ってまお、と店のドアを土岐が
押し開けた。
「いらっしゃいませ」
静かで落ち着いた歓迎の言葉はカウンターの向こうから。店主はやや年配のふっくらした
女性だ。目を細めて微笑みかけてから、彼女はまた作業に戻る。レジの前に客が一人。何
か包んでもらっているようだ。
土岐はぐるりを見回した。
「ガラス細工…?」
「びっくりするような量だね」
同じようにぐるりとあたりを見回して、大地も嘆息した。ウィンドウを見かけたときは、
ひそりとした印象を持ったのだが、どうしてどうして。様々な色硝子で埋め尽くされたた
くさんの棚がぎっちりと並んでいる店の中は、目もくらむような極彩色だ。
大地はそっと棚の一つに近寄って、瓶を手に取った。香水瓶だろうか、凝った作りだ。乳
白色の地に黄色と緑のガラスがつるを巻き付けたように絡んでいて、ところどころ、花に
模した赤や橙の彩りがある。春の花野のような風情はかなでを思い出させた。
…観光で六甲山上に上がった彼女はこうした小物を選ぶ暇はたぶんないだろうと、お節介
と思いつつ購入を決めたが、一旦棚に戻す。それから改めて、元々自分の目を引いた、表
に面しているショウウィンドウの方へ足を向けた。
外から見るのとはちがってこの華やかな店内では、そのガラスはごく地味なものに見えた
が、逆にそのシンプルさが好もしい。大地は迷わず手に取った。
先ほどの棚で例の香水瓶も手に取り、併せてレジに向かう途中、ぼんやりとあたりを睥睨
していた土岐が、ゆるりと首を回して大地の手元を見た。
彼はまず香水瓶に目を止め、
「小日向ちゃんに似合いそうやん」
再びあっさりと言い当て、大地を失笑させる。しかし、もう一つのものに土岐は首をひね
った。
「えっらい小さいけど、…金魚鉢?」
「そう」
「このサイズで、魚は泳がれへんやろ。…メダカやったら、一匹くらい棲めるかな」
「そうだね、本物を泳がせるための金魚鉢じゃなさそうだ。…だから、ほら」
大地は、店の真ん中に置かれた大きなテーブルの上に、ざらりと並べられた動物のガラス
細工の中から、小さな赤い金魚を選び出した。それから、小さな水草と。
「魚や水草もガラスにするよ」
「……ふうん」
土岐は、ようやく合点がいった、という顔をする。
「如月くんにか」
「……いちいち言い当てないでくれないか」
「当たりなんやろ」
「ああ、そうだよ。…大学部に進学したらラウンジの熱帯魚とはお別れだって寂しそうに
してたから、気が紛れればと思って」
「…優しなあ」
「…君に言われると、素直にありがとうと思えないのは何故かな」
大地が眉をしかめると、土岐は笑った。
「そら、君がひねくれてるからや」
「…原因は俺じゃないと思うけど」
言い合いながらレジに向かう。支払いを済ませ、プレゼント用に包んでくれるよう大地が
頼む横から、
「外で待ってる」
告げて、土岐が店を出て行く。背を向けたまま大地がひらひらと手を振ると、カウンター
の向こうで店主が目を細めた。
「お友達と仲がいいのねえ」
単なる世間話で話しかけられたのだろうが、大地はつばを呑み込みそこねてむせそうにな
った。
ごほ、と咳払いを一つしてから、
「…いえ、別に、……普通です」
何となく抗弁してしまう。だが、彼女はくすくす笑っている。またまたそんな、というそ
ぶりだ。…言葉に詰まって大地があらぬ方を見ると、彼女ももうそれ以上は言わず、手際
よくガラスを包み始めた。


「すまない、待たせた」
大地が店を出たとき、土岐は所在なげに携帯を見ていたが、声をかけられるとすぐに閉じ
た。
「千秋達も、もう、山降りてくるて。…三宮駅で待ち合わせすることにしたから、移動し
よ」
土岐は説明しながら大地の手元をのぞき込む。紙袋の中の包みを確認して、
「きれいに包んでもろたやん」
穏やかに微笑んだ。
「小日向ちゃん、喜ぶで」
「…だといいけど」
曖昧に笑った大地に、土岐は、おや、という顔をした。
「何かあったん」
「……何故」
聡いにしてもほどがある。少々ぎくりとした気持ちで問い返すと、土岐も少し困惑した顔
で、
「いや、…何や、困った顔で笑てるから」
と言った。…ははは、と大地は気の抜けた笑い声を上げた。
「…店の人に、仲良しだと言われてしまって、…ちょっと」
「……」
土岐は、聞きたくないが一応、という顔をして、
「誰と誰が」
と言った。…聞くなよ、と思いながらも、大地も答える。
「俺と君が」
「………」
土岐は額を押さえた。
「…勘弁してや…」
「俺に言うなよ」
「端から見たらそんなとんでもないことに見えるん、俺ら」
「らしいね」
「……」
大地の肯定にあからさまなため息をつき、彼はふいとそっぽを向いた。…その唇がかすか
に動く。
「……何?」
「…何、て」
「今、何か言っただろう?」
「…別に」
言って、土岐は足を早めた。その唇がまた動く。声はまたしても聞き取れなかったが、ど
うせそうだろうと土岐の口元に目をこらしていた大地はふっと笑う。

(ま、いいか、言うたんや)

土岐はきっとそう言ったのだと。…そう、読み取れたから。

「……まあ、…それもいいか」
大地がはっきりとそう言って伸びをすると、土岐が大地を見た。その目が、「君もか」と
言っているようで、大地は穏やかに笑い返した。

−…そろそろ「オトモダチ」は返上して、「お友達」に格上げ、かな。

口からでかけたその言葉は、胸の奥にしまったまま。