ろうそく

「葦原、図書館寄って帰らないか?」
クラスメートが首にぐるぐるマフラーを巻き付けながら言う。忍人は申し訳なさそうに首
をすくめた。
「悪い、今日はまっすぐ家に帰れと言われていて」
「食事当番?」
彼の家庭の事情をある程度知っているクラスメートは、朗らかにそう問うた。いいや、と
忍人は苦笑する。
「俺の誕生日」
「え?…葦原、今日か!?うわ、知らなかった。てか、言えよ、水くさいな」
「十八にもなって、男が『今日誕生日なんだ』もないだろ」
忍人の言い方がおかしかったのか、相手はぷっと吹き出してげらげら笑い出した。
「確かに。いやでも、…へえ、今日かあ。なんか、クリスマスと一緒くたにされそうな日
付だな」
「俺はいっそそれでもかまわないんだが」
忍人は小さくため息をついた。
「…家族がうるさくて」

「どうして?…お兄ちゃんの誕生日はお兄ちゃんの誕生日、クリスマスはクリスマスじゃ
ない。どうして一緒にする必要があるの?」
イベント事を何より喜ぶ千尋が、そう唇をとがらせたのはまだしもとして、
「2〜3日の間に何回もケーキ食べてお祝いってのが不経済だって言うなら、クリスマス
の方をやめりゃいいんだ」
那岐までそんなことを言う。
「那岐」
忍人が少し困って笑うと、那岐はまっすぐに忍人を見た。
「信仰しているわけでもない神様の誕生日より、大切な家族や友達の誕生日の方が大事だ
ってのは、そんなに変なこと?」
彼には珍しい熱のこもった言葉に、少し気圧される思いがする。…と同時に、それだけ自
分を思ってくれていることが、面はゆくもうれしくて。
「…クリスマスはさておいても、忍人の誕生日は祝いましょう。…当日はまっすぐ帰って
きてくださいね、忍人」
風早がそう締めくくって、ぽん、と手をたたいた。…それで決まりだった。

「…ごめん、そういうわけだから、また」
手を挙げると、相手も笑って手を挙げた。
「またな。…ああ、それと。…言いそびれてた。…誕生日おめでとう、葦原」
忍人は静かに笑って、その優しい言葉に応えた。

「ただいま」
玄関を開けると、
「…やーん」
千尋が半べそをかいている声が台所から聞こえてきて、忍人は慌てた。
「…どうした?」
台所を覗くと、千尋がテーブルの前に立ちはだかって、
「見ちゃ駄目ー!」
叫ぶ。
那岐がつまらなそうに、
「千尋が焼いたケーキがふくらまなくてぺしゃんこになっただけだよ」
あっさり暴露した。
「だから、無理せずに普通に店で買おうよっていったのに」
千尋はしょげかえった。
「…だって」
那岐は口調ほどには千尋を責めていない。その証拠に、こっそり忍人を見て、共犯者の眼
差しで優しくあたたかく笑ってみせた。
「…材料ももうそんなに残ってないし、料理もしなきゃだろ。…ケーキは僕が買ってくる
よ。プレートのついたバースデーケーキとかじゃなくて、あったやつになるけど、ごめん
ね、忍人。…千尋は、どんなケーキでも文句言わないこと」
「…はーい」
しょげたまま千尋がぺこりと頭を下げる。
「ヨロシクオネガイシマス」
「よろしい」
千尋にはえらそうにふんぞり返ってみせて、こっそりまた忍人に笑いかけて。那岐はさっ
さとケーキを買いに出て行ってしまった。
忍人は軽く手を振ってその姿を見送り、千尋に向き直る。
「…何か、片付けでも手伝おうか?」
料理は間違いなく拒絶されるだろうと、そう申し出た。今日の主役だから、というだけで
はなく、いろんな意味で、彼の料理は信用されていない。
「ううん、大丈夫。…部屋に荷物を置いて、休んでて、お兄ちゃん」
にっこり笑ってから、…またしょぼんと彼女はうつむいた。
「…ごめんね」
「…何が。…ケーキが?」
「…ていうか。…完璧なお祝いにしてあげたかったのに、なんだか最初っからこんな調子
で」
忍人は笑った。
「いいさ。…別に、最初から完璧でなくっても」
「でも」
「千尋」
しょげた顔をのぞき込んで、忍人は何か言いかけた千尋の言葉を遮った。
「俺の誕生日は、来年も再来年もめぐってくる。…千尋のケーキは、次に祝ってもらうと
きの楽しみにとっておく」
また、祝ってくれ。
言いながら、忍人は、千尋には気付かれないよう、こっそり苦いものを飲み下す。
……そのときも、俺たちがここにいれば。
忍人の内心の感慨を知らない千尋が、ふわりと顔を上げた。忍人の目を見て、花が開くよ
うに笑う。
「…うん!」
声が弾む。
「来年は、がんばるね。再来年もね。…ずっとずっと、毎年、お兄ちゃんのお誕生日をお
祝いしてあげる」
約束、と差し出された小指に、忍人も小指を絡めた。
…この約束を違えたくないと、心から思う。

那岐が結局、丸いデコレーションケーキを見つけて帰ってきた。ご丁寧なことに、お誕生
日おめでとうおしひとくん、のプレート付きだ。忍人がそのプレートを見て渋い顔をする
と、げらげらと笑った。その顔が見たくて、わざとプレートを依頼したのだろう。
ろうそくは小さな10本入りのが一袋ついている。どうせ足りないから全部立てちゃおう
か、などと乱暴なことを那岐が言い、千尋に、10の位をはぶいてたてたらいいじゃない、
とたしなめられる。
千尋もがんばって、ミートローフなる、ハンバーグの親玉みたいなものをこしらえてくれ
た。上出来らしく、機嫌が直っている。
いつもバイトで遅くなる風早も、今日はシフトを少しカバーしてもらった、と、急いで帰
ってきた。久しぶりに食卓で全員がそろう。
ケーキにろうそくをさし、灯をつけて、那岐が電気を消した。ぼんやりした炎に大切な家
族の顔が浮かぶ。見回して、忍人は微笑んだ。
どうか、来年も再来年も、…この場所で。
強く祈りながら、忍人はろうそくの火を吹き消した。