something blue


「ああ、本当によく似合うね…!」
風早がまさに感無量!…という声を出した。
「かわいいよ、千尋!ぴったりだ!」
「ありがとう、風早。…でも、ぴったりじゃ、ないみたい」
礼を言いながら、千尋は少し苦笑している。
「上着もセーターも、ちょっと大きすぎたかな。もう成長期って年でもないんだから、も
っとちょうどいいサイズのにすればよかった」
が、風早はぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことないよ。千尋は伸びる。まだまだ伸びる。ずんずん伸びる」
「…ずんずん、は伸びないと思うし、伸びなくていいと思うけど」
さらりと口を挟んだのは那岐だ。
「ま、でも、きついよりは大きいくらいの方がいいんじゃない?洗濯に失敗したら、セー
ター縮むし」
「…ねえ、那岐。なぐさめてくれてるの?からかってるの?」
「両方!」
「…もう!」
にやっと笑った那岐の返事に、千尋も笑顔で応じる。仲の良い年少組を見て、風早はまた
泣き出しそうな顔だ。
「…それにしても、忍人の時にも思ったけど、うちは男の子の制服もかっこいいよね。那
岐もよく似合ってるよ」
「どーも」
けろりと那岐は言ったのだが。
「……」
「……ねえ、……いいの?」
おずおずと問うたのは千尋だ。
「いいのって、何が」
あいまいな問いで、誰に問うているのかもはっきりしなかったが、とりあえず那岐が応じ
る。
「……その」
「…千尋のように、那岐の制服も新しくあつらえた方が良かったのではないか、風早」
それまで黙りこくっていた忍人が、口ごもる千尋の声にかぶせるようにきっぱりと言った。
……どうも、それがずっと気にかかっていたものらしい。風早も少し眉を寄せた。
「…うん。…それは俺も思った。上着やズボンはともかく、…せめてカッターシャツは」
「いいんだよ」
あっさり言ったのは当の那岐だ。
「忍人の制服、一年半くらいしか着てないじゃないか。もったいないよ。…それに忍人、
几帳面だからすごくきれいに制服を着てるしね。型くずれしてないし、とれないシミや汚
れもない。僕だとこうはいかないよ」
「……那岐、外で昼寝とかしそうだものね」
しみじみと千尋が言った。
「まあね」
「まあね、じゃなくてね。…学校ではやめるんだよ」
「どうしよっかな」
「「那岐!!」」
千尋と風早の声が綺麗にはもる。那岐は笑いだし、難しい顔をしていた忍人も、少しだけ
眉を開いた。


慌ただしく入学式を終え、新しい通学路にも慣れた頃、寝る支度をしていた那岐に忍人が
少し遠慮がちに声をかけた。
「…那岐。…これを」
差し出されたのは何の変哲もない、茶色い小さめの紙袋だ。
「……?…これ何?」
「……」
忍人は無言で、ただ、開けろと言いたげに目で促す。
「……?」
首をひねりながら、セロテープをはがして中を開けてみて、那岐ははっとした。
…ひらり、と出てきたのは、一本の青いタイ。
「…。カッターシャツも、と思ったんだが、サイズのこともあるし、そちらは風早が気に
かけていたようだったから、そのうちあいつがなんとかするだろう。…だがネクタイは、
一見きれいだが、俺が固く結び目を作るたちだったせいか、意外とくたびれている。…せ
めてそれだけでも」
「……。…忍人」
那岐は小さく笑った。
「気にしなくていいって言ったのに」
「ああ、君はそう言った。…だから、これは俺のわがままだ」
「…わがまま?」
「そうだ。…千尋のように、那岐にも何か新しいものを身につけてほしいと思う、わがま
まだ」
那岐は忍人を見た。
忍人は、闇のように黒い艶のある瞳でまっすぐに那岐を見ていたが、その感情に乏しい瞳
は、すがめられると少し柔らかく、優しく光った。
…慈しまれているのだと、不意に強く実感して、那岐は胸が詰まる心地がした。…けれど、
感情の昂ぶりを素直にあらわすのが気恥ずかしく、わざと、ちゃかすような声を出してご
まかす。
「…何か新しいもの、か。……ねえ、忍人、知ってる?……何か古いもの、何か新しいも
の、何か借りたもの、何か青いもの、……って」
「……?」
忍人は、かすかに首をひねった。
「さあ。…初めて聞く言葉だが」
「Something old, something new, something borrowed, something blue.…古いもの、
新しいもの、借りたもの、青いものを身につけている花嫁は幸せになれる、ってね。欧米
の慣用句」
「……?」
忍人は、那岐がいきなり何を言い出したのかという顔で少し呆気にとられている。らちも
ない照れ隠しだったのだが、そのぽかんとした顔がなんだか楽しくて、那岐は一層に言い
つのった。
「僕の制服は元々忍人のもので、借りているようなものだし、古い、というと言い過ぎだ
けれどまあ新しいものではない。ネクタイは青いし、新しく忍人が買ってきてくれたもの
だ。……僕も幸せな花嫁になれるかな」
「…那岐」
不意に忍人が真顔になったので、那岐も肩をすくめ、真面目な顔を作った。
「花嫁は冗談だけど、幸せなのは本当だよ。…千尋も風早も、もちろん忍人も、僕のこと
を大切に思ってくれてる。慈しんでもらってる」
「……那岐?」
「…いいのかな、って思う」
「……?」
「……僕は、こんなに幸せで、いいのかな」
忍人は、ふうと息を吐いた。
「…もし、君が気にしているのが狗古智将軍のことなら」
すうっと、那岐の胸に氷のかけらが落ちた。…何も言っていないのに、何もかもわかって
いると言いたげな忍人の目が、少しだけ、怖い。
「…俺は、あの方は幸せでいらしたと思う」
「……」
忍人はおためごかしを言うような人間ではない。それは誰よりも自分が一番よくわかって
る。…けれど。
那岐の瞳に疑いを見たのか、忍人は憐れむようにほんの少し瞳をすがめた。
「…君のように聡明な弟子を持って、力も身体もすくすくと伸び、成長していく様を見守
る。…それは、教える側にとってこの上ない喜びだ。ましてそれが、赤子の時から育てた
養い子であるなら、どれほど愛おしいことだろう」
「…忍人。…君の心遣いはわかる。…でも、君は何も知らないはずだ。なのに何故そんな
ことが言える」
「見ればわかる。…那岐。…君は人からの干渉は忌避するけれど、人を恐れはしない」
「……?」
「疎まれつつ育てられた子供は、いつもびくびくと人を恐れ、人の顔をうかがい、あるい
は虚勢を張る。…君にはそういうところがかけらもない。その一点だけを見てもわかる。
あの方がどれほど君を慈しんだか。君がどれほど人を愛して育ったか」
「……」
「あの方には遠く及ばないかもしれないが、俺たちも皆、君を愛している。…君が幸せで
いてくれるとうれしい。……たかがネクタイ一本で、大げさだが」
忍人の白い手が、そっと那岐の持つネクタイに触れ、愛おしむように手触りを確認した。
…それがまるで、自分への慰撫のようで、那岐はくすぐったいような喜びがあぶくのよう
にわいてくるのを感じる。
「…大げさじゃないよ。…うれしいよ。……ありがとう、忍人。大事にする。……もっと
も僕はあんまり真面目にネクタイを結ぶ気はないけど」
「…。…ぶらさげるだけでもいい、つけていけ。…何か新しいもの、何か青いもの。…そ
れが幸せの条件なんだろう?」
「…。…幸せな花嫁の、だよ」
「同じだ」
すっぱりと言い切る迷いのない声に、那岐は思わず額を押さえた。
「……言い出した僕が言うのも何だけど。……同じ、ではないと思うよ、忍人……」


「いってきまーす!」
「いってきます」
既に風早も忍人も外出しているので誰も答える声はないのだが、習慣で家の中に向かって
挨拶してから、那岐と千尋は家に鍵をかけ、連れだって学校へと向かう。
肩を並べて歩きながら、千尋がふと、那岐の胸元に視線を向けた。
「…那岐って、めんどくさがりなのに案外真面目にタイはつけていくよね。…暑くなって
きて、外してる子も結構いるでしょ?」
「うん。…でもこれをつけてることが幸せだからね」
「…?」
「something new,  something blue.ってね」
「……。…それ、もしかして、花嫁さんの話じゃない?……あ、待って、那岐、置いてか
ないでよ!」
くすくす笑いながら大股に歩き出す那岐の胸で、ひらり、青いタイが揺れた。