鈴の秘密

かたん、という物音がして、那岐ははっと手元のものを隠した。
書庫に入ってきたのは忍人だった。那岐のそぶりを見て、かすかに眉を寄せる。…詮索は
良くないと思ったのだろうか、見ぬふりをして行き過ぎかけて、しかし、那岐がばつの悪
そうな顔で自分を見ていることに気付くと、無視して行き過ぎるのも失礼かという顔をし
て戻ってきた。
「…那岐。…今、何か」
そう言って、那岐の手元にそっと視線を落とす。その眉が少し寄せられた。
「それは、道臣殿の」
「うん、そう。…三環鈴」
那岐は、ごろごろと音の悪い鈴を振ってみせた。
三環鈴は、使うことで物や人を遠いところに飛ばすことが出来る呪具だ。道臣が所有して
いたが、先般の戦で常世の二人の皇子を遠くへ飛ばしたことで、まじないを使い切り、壊
れてしまった。
大きなひびが入った鈴は、鈴としても使い物にならない。本来ならばころりころりと優し
い音をたてるはずのその鈴は、今はごろりごろりと鈍く響くだけだ。
「何故、君が持っている?」
忍人は少し不機嫌そうだ。
…彼は、道臣のその呪具のことをあまりよく思っていないのだろう。彼が戦場から一人で
逃げ出すときに使った呪具だからだ。
忍人の眼差しが険しい気がして、那岐の言葉は少し歯切れが悪くなった。
「ん?…んーと、…探求心?」
「…探求心?」
オウム返しに繰り返す忍人に、うん、まあ、と那岐はぼそぼそ答える。
「僕は、物を遠くへ飛ばす術を知らない。師匠からは教わらなかったし、手元にあった鬼
道の竹簡にもそういう術は載ってなかった。でも現にこの鈴が存在するのだから、そうい
う術は存在するんだろう。そう思ったら、調べたくなって」
そんな術は不要だと、忍人なら言うかな。
忍人はまっすぐ那岐を見つめてくるのだが、那岐は何となく忍人の視線から目をそらして
いた。少しだけ、後ろめたい。
「この鈴はもう壊れてしまっているけど、何か手がかりがないかと思って、道臣から借り
てきたんだ」
「…許可を得ている?」
「…?…うん」
忍人の愁眉が開いた。なんだ、という顔になる。険しかった視線もゆるむ。…那岐は何と
なく拍子抜けしてしまった。
「…なに?」
「…何が」
「僕が、三環鈴の術を身につけようとしていることが気に入らないんじゃないわけ?」
「…は?」
忍人は不得要領な顔をする。それから首を横に振った。
「…いや、別に。…ただ逃げるだけでなく、他の用途にも使えることは、この間の常世と
の戦いでよくわかった。鬼道使いとしての君が、新しい術に興味を持つのも理解できる。
…俺が、君の興味を妨げる理由は何もない」
「…だって」
那岐は思わず言い返してしまった。
「じゃあなんで、さっき不機嫌そうだったのさ」
「不機嫌?」
忍人は今度は目をぱちくりと見開いた。
「不機嫌そうだったじゃないか。三環鈴を見たとき」
忍人はああ、という顔をした。
「君がこそこそしていたからだ」
「…は?」
今度目をぱちくりさせるのは那岐だった。
「俺が入ってきたとき手元のものを隠すそぶりをしただろう。…それが道臣殿の鈴だった
ので、てっきり無断で借用してきて、それを人に知られたくなくて、こそこそと隠してい
るのかと、…それで少し、不機嫌そうな顔をしたかもしれない」
「…」
…うわあ、忍人らしい、と那岐は内心こっそりつぶやいた。
那岐の心の声は聞こえていない忍人が、俺も聞いていいか、と首を少しかしげる。
「何」
「許可を得ているなら、なぜこそこそとその鈴を隠す?」
ああ、そのこと、と那岐は少し頬をかいた。
「道臣に言われたんだ。…鈴を貸してほしいって頼んだとき、これは自分の弱さの象徴の
ようなものだから、今しばらくは見たくないって。だからなるべく、自分の目の届かない
ところに置いておいてほしいって」
那岐のその答えを聞いて、忍人は一瞬なんともいえない顔になった。納得と、もどかしさ
と、痛みがいりまじったような顔だ。唇が開きかけたので、何か言うかと思ったが、結局
何も言わずに彼はまた唇を引き結んだ。
那岐はかすかに首をすくめて、話を続ける。
「だから、人が入ってくると隠すのが習性みたいになってて。人が入ってくる前から道臣
かどうかわかってれば隠さないでもいいんだけど、そこまで部屋の外に意識を向けてない
から」
「…それはまあ、そうだろうな」
ふう、と忍人は吐息をついて、目を伏せた。
「納得した。…つっかかるような物言いをして悪かった」
「いいよ、別に」
忍人らしいじゃないか、と付け加えようと思ったが、それを言うとまた、なんだそれは、
と話がややこしくなる気がして、那岐は言葉を飲み込んだ。
「…調べはつきそうか?」
「どうかな。…きっかけというか、ここが要だっていう何かさえわかれば、あとは芋づる
式に解けると思うんだけど。今はまだその要の部分がつかめてない」
那岐はごろごろと手の中で鈴を転がしてみた。
「…でもまあ、…なんとかこの戦いが終わるまでに、調べがつけばいいなとは思う。調べ
て、道臣にこの鈴を返さなきゃ」
腕組みをして那岐の手元を見ていた忍人が、少し首をひねる。
「…道臣殿は、その鈴を見たくないのだろう?」
「今しばらくは、ね」
那岐は小さく笑って、忍人の目を見上げた。忍人は、那岐が強調したその言葉の意味にま
だ気付いていないのだろう。気難しい目のままでいる。
「ずっと、じゃないんだよ」
だから那岐は念を押してみた。
「確かに今は、自分の弱さを恥じる気持ちの方が強いみたいだけど、…でも向き合う気持
ちが彼の中にあることも確かだ。だからこそ、今しばらくは見たくない、なんだよ」
忍人は、夜に海の底を覗いたときのような深い色の瞳でじっと那岐を見つめた。そのまぶ
たが、ゆるりと一度閉じて、…また開く。
開いた瞳は、柔らかく笑っている。けれど少しだけ悔しそうな色もしている。自分が見つ
けられなかったなぞなぞの答えを、友達からあかされたときのような、…彼には珍しい、
子供っぽい色だ。
本当は忍人だって知っている。自分の兄弟子は、たとえ弱く見えても、最後はちゃんと踏
みとどまる強さを持っていることを。なしくずしに負けてしまうような人なら兄弟子と慕
いはしない。彼が、踏み越えない一線を知って守る人だからこそ、忍人は礼を以て接し、
敬うのだ。
「…悔しい?」
だから那岐はわざと聞いた。
「…何が」
「悔しいんだろ」
自分の方が、道臣のことはよく知ってると思ってただろ?僕に先回りして、道臣の気持ち
を指摘されるとは思っていなかっただろ?
「何のことだ」
「悔しいんだ」
「だから何のことだと言っている」
那岐は笑って答えない。忍人はむっとした顔で、那岐の手元から鈴を取り上げた。
手の上で鈴を転がすと、ごろり、と鈍く鳴る。
その音を聞いた忍人はぼそりとつぶやいた。
「元の音がわかればいいのかもしれないな」
「…え?」
きょとん、と目を丸くした那岐に忍人はしかめたままの瞳を向ける。
「だから。壊れる前の音がわかれば、術の謎も解けるのかもしれないと。……鈴という依
代に封じられているからには、術にも多少音の影響はあるだろう」
那岐は一瞬、口も目も開いて、ぽかん、という擬音そのものという顔をした。それから、
「………音!」
悲鳴のように叫ぶ。
「そうか、音か!…音だ!なんで気付かなかったんだ、僕は!」
「…気付いてなかったのか」
猛然と竹簡を繰り始めた那岐の横で、ぼそりと忍人がつぶやく。むっとした顔で那岐が睨
み付けると、少し意地悪い顔で笑った。
「…おあいこだな」
「………!」
返す言葉がない。
怒らせたふぐのように頬をふくらませて、那岐は竹簡を繰り続ける。忍人は那岐の鼻をあ
かしたうれしさの中に、ほんの少しだけ悔しさが残る顔をして、壊れた鈴を手の上で転が
している。
ごろり、ともう一度、鈴が鈍い音を立てた。