たばこ …あれ、と思ったのは結構早い時期だ。 別にことさら指摘することでもないだろうと、気付いた当初は何も言わずに流したが、少 しずつ少しずつ互いの糸が絡み始め、ぽつりぽつりと踏み込んだ会話もするようになって くると、無性にそのことが気になり始めた。 だから。いつものとりとめのない応酬の中、他愛ない話のネタが尽きたとき、…俺は、何 気なく聞いてみた。 「普段、煙草のんでる?」 「…っ」 俺の言葉にいつも余裕を返す土岐が、珍しくまばたきを二つした。少し鼻が動いたのは、 匂いを確かめようとしたためらしい。ちがうよ、と俺は笑った。 「匂いはしない。見事に消してるね。…そうじゃなくて、仕草だよ。…時々、胸ポケット から何かを取り出そうとするような仕草をするだろう。無意識だろうけど。…そんなとこ ろから頻繁に取り出すものといえば、煙草と相場が決まってる」 は、と土岐は呆れたような声を出した。 「細かいとこ…というか、やらしいとこよう見てるな、君」 「観察は癖なんだ」 「さよか」 どこか不機嫌そうに、土岐は鼻を鳴らした。 「せやけど、横浜には持ってきてへんよ」 俺を牽制するような言葉に、静かにうなずく。 「そうみたいだね。…淋しくならないか?」 俺が喫煙を否定しなかったので、土岐は少し拍子抜けしたらしい。責められることを予想 していたのだろうか。 「…いや」 気の抜けた声で返事をして。……それからようやく、いつもの調子でにやりと笑う。 「ここにおったら、口が淋しいとか思ってるひまないわ。いい喧嘩相手がいっつも近くに いてくれるし」 ………俺か。 ため息をついて。まじまじと土岐を見て。…俺は、彼の癖に気付いたときから思っていた ことを口にしてみた。 「…喧嘩ならいくらでも付き合うから、煙草は止めないか?」 それは土岐にとって、結構意外な申し出だったようだ。 「……」 俺の意図を計るように、瞳をのぞき込んで押し黙る。 「……」 俺も無言で、その土岐の視線を受け止める。 …先に視線をそらしたのは土岐だった。 「…やっぱり医者のタマゴやな。…気になる?」 「一応ね。…もっとも俺は外科志望だから、肺ガン云々をレクチャーできる立場じゃない けど」 ふふ、と土岐は唇だけで笑う。 「…医者いうんは変な生き物やな。人の身体のことばっかり気にして、自分のことには結 構無頓着なんが多い。…君もか」 それは心外だ。 「俺は、自分の健康には気をつけてるよ」 「身体的にはな。…心は?…俺の喧嘩相手になるんは、ストレスたまるやろ?」 探るような視線で確認される。……その目の奥に、甘えに似た少し淋しい色が見えた気が するのは、俺の都合のいい錯覚だろうか。 「…ストレスがたまるようなら、毎回喧嘩につきあったりしない。…いいレクリエーショ ンだと思ってるよ」 「……」 ああ言えばこう言う俺に、土岐は心底呆れた様子で息を吐いたが、やがてじわりと目元に 穏やかな笑みをにじませた。 「そしたら、心おきなく喧嘩につきおうてもらお。…その代わり、君が遊んでくれとう間 は、煙草には手ぇだせへん。…約束する」 その言い方に、俺はそれがその場限りのただの口約束だと思った。 …それでもいい。 俺の言葉に彼が心を動かしてくれたことが嬉しくて、…俺も穏やかに笑い返していた。 それがただの口約束ではなかったと、…彼の中で、自分の言葉はきちんと重かったのだと、 俺が気付かされるのは数ヶ月後のことになる。