地上の星座


ゲートをくぐったとき、律がぽつりと、
「友達と遊園地に来るのは初めてだ」
と言ったのが引っかかった。
思わず、
「確かに、普通は遊園地って女の子とのデートで来るものなんだろうね」
と返したのは、我ながらこすいというか、せせこましい煙幕だった。
律の口から「普通はデートで来るものだろう」と言われる前に、自分から口にして痛みを
減らそうと思ったからなんだ。
だけど俺は、律の発想を、…というか、育った環境を、読み間違えていた。俺の言葉に律
は小さく目を瞠って、
「大地はそうなのか?」
と聞き返してきたのだ。
「……え」
「…俺の住んでいたところは、近くに遊園地なんかなかったから、子供だけで遊園地に遊
びに行くなんて絶対に無理だった。だから、遊園地は家族で行くものかと」
「……」
「そもそも遊園地なんて、小さい頃に一度行っただけだ。…かなでの家族と一緒にみんな
揃って旅行したときに、一日だけ遊園地に立ち寄ったんだが、…そのとき以来だと思う」
…俺は、今が夜で心底良かったと思った。たぶん俺は今、自分の勇み足と余計な世間知の
おかげで、真っ赤になっているはずだから。しかも律は、二の句を告げないでいる俺に、
ごくごくさわやかに追い打ちまでくれたんだ。
「大地はきっと、何度もデートで来ているんだろうな。…中学生の頃からもてていたんだ
ろうから」
「…来てないよ」
俺はかすれた声でゆっくりと否定した。
嘘じゃない。…確かに、中学生の頃、クラスメートとデートの真似事をしたことはあるけ
れど、互いにお小遣いもたいして持ってない子供だったから、二人で元町や港のあたりを
そぞろ歩くくらいが精一杯だった。…高校に入ってからは、オケ部が全てで誰ともつきあ
わなかったし。
「俺は、遊園地は友達と来て絶叫マシンに乗りまくるのが定番だったよ。…女の子と一緒
じゃ、そんなことできない」
「…そうなのか」
律は少し眼鏡のブリッジをさわった。
「あんなこと言うから、…てっきり」
「…世間的にはそうなんだろうなって、思っただけだよ」
へどもどしている自分が嫌だった。何とかこの空気を変えたくて、でもどうしていいのか
わからずにいる俺に、律はふっと笑って助け船を(…本人にその気はないかもしれないが)
くれた。
「俺は、ジェットコースターにはあまり興味がないんだが、…観覧車に乗ってもいいかな。
…夜の観覧車は初めてだ」
「…もちろん」
俺がほっとしたことに、律も気付いたろうか。眼鏡の奥の瞳が優しい色に瞬いた。


外から掛け金をかけられ、ゴンドラがゆっくりと上昇していく。律はひたりとガラスに額
を押し当てている。静かな声がうれしそうに、
「夜景が星空みたいだ」
とつぶやいた。
うれしそうな姿を見ていると、ようやく肩の力が抜けてきた。俺も、律の話題に乗ること
にする。
「本当だ。…きれいだな。…そうだ、灯りをつないだら、星座みたいに何かの形に見えて
こないかな。…そこの道路にそってまっすぐつらなってる街灯の光、弦みたいじゃないか?
手前の交差点の光が集まってまぶしいところは糸巻きだし、奥の住宅街は少し道が蛇行し
ていて」
もっとよく見ようと、俺は律の側へと身を乗り出した。
「…ほら。…ヴァイオリンの側板みたいに」
指さそうと動かした腕が、ふっと律の背と腕をかすめた。
「……っ!」
とたん、律がびくりと大きく肩をふるわせる。
「……り、…つ?」
俺は固まった。外を指さす手の形のまま、首だけを恐る恐るねじまげて律を見ると、彼は
目尻を夜目にも赤く染めていて、俺と目が合うとはっと目を伏せ、唇を軽く噛んだ。
「…ごめ…」
「…ちがう。大地は悪くない」
反射的に謝ろうとした俺を、鋭い声が遮った。
「…俺が、…余計なことを考えたから」
「……余計な、ことって?」
人の感情の動きに聡い自信はあった。…でも今日に限って、全く何も思い浮かばない。律
が何を考えたのか、さっぱり見当がつかなかった。
律は、俺がいつものように上手く察すると思っていたのだろう。けれど俺がぽかんとして
何も言わないので困惑した顔になり、切なそうにまた目を伏せて、…それでも一言だけ、
ヒントをくれた。
「……その、…大地と二人きりなんだな、と、…思っただけだ」
「……っ!」
心臓が沸騰したかと思った。
「……律」
声が情けないほど震える。
「…二人っきりだと、俺が律に何かするかと思った?」
「そっ…!」
律は真っ赤になった。そんなことはない、と抗弁しようとしてくれたんだろう。律は優し
いから。

−…でもごめん、律。……俺は、…そういう奴なんだよ。

「……ていうか、……していい?」
律が目を瞠る。
「……キス。……させて?」
言ったとたん、律は瞠った目をぎゅっと閉じた。…俺はしゃっくりみたいに、ひく、って、
笑う。
「目を、閉じたら、……いいよって言われたと思っちゃうよ、俺」
律の肩がまた震える。……けれど彼は目を開けなかった。その代わりに震える唇を少しだ
け開いて。
「……かまわない」
蚊のなくような声で、許しをくれた。
「……!」
たまらなくて、…むしゃぶりついてかき抱きたい気がしたけれど必死にこらえて、……瞳
を固く閉じたまま断罪を待つかのような律の震える唇に、そっと唇を重ねる。
…と、観覧車が少し揺れた。鼻がぶつかって、思わず
「いてっ」
と口走ったら、律も鼻を押さえて目を開いて、……俺を見て、花が開くみたいにふわりと
笑った。
ごくり、…俺はつばを呑む。
「……律。……もう一回、してもいい?」
「……。…いちいち聞かないでくれ」
くす、と笑い合って。…肩を抱き寄せる。

二度目のキスはやわらかくて暖かくて、……くらくらするほど、よかった。