強さの行方

風早の土器作りは四日目に入った。
最初は物珍しげに土器作りを見物していたり、紀の村をそぞろ歩いていたりしていた仲間
たちも、そろそろ飽きてきたらしい。村をぐるりと見回しても、すぐには見当たらないこ
とが多くなった。今日は、サザキとカリガネは少し遠出を、那岐と遠夜は薬草を採りに山
の方へ行っている。
千尋はぼんやりとどんぐりを拾っていた。これは椎の木、この実は炒って食べるとおいし
いよ、と那岐が言い置いていったのだ。たぶん、仲間の不在中、千尋の無沙汰を思いやっ
てのことだろうと思う。風早は土器にかかりきり、アシュヴィンは自軍の建て直しにまだ
追われ、サザキも那岐も遠夜もいない。
両手一杯に拾った椎の実を、ざらざらと布の袋に移したとき、千尋は何か重い金属が触れ
あうような鈍い音を聞いた。
そういえば、布都彦が見当たらない。彼が鍛錬でもしているのではないだろうか。もし一
人で練習しているなら、弓の練習を見てもらおう。
思い立ったらすぐに体が動いていた。音に導かれるように歩いていくと村の裏側に広がる
小さな空き地にたどりつく。千尋の予想通りそこには布都彦がいて、武器を持って鍛錬の
最中だった。
……が、予想と違っていたのは、彼が一人ではなかったことだ。
「……あれ」
思いがけないことに、彼は忍人と剣を交わしていたのだ。
「…珍しい」
千尋は思わずつぶやいた。
二人とも練習熱心なのは共通しているのだが、一人黙々と練習することが多い布都彦と違
い、常日頃忍人は、自らの鍛錬に時間を費やすよりも戦に慣れない志願兵達を鍛えている
ことの方が多い。おそらくそのためだろう、二人が剣を交わす姿を千尋は今まで見たこと
がなかった。今回は兵達を天鳥船に残してきているので、忍人も自分の練習に時間を割く
ことが出来るとみえる。
ぎん、とまた刀が切り結ぶ音。
邪魔をするまいと、千尋は建物の影になるところへ一歩下がった。
いつもは槍で闘う布都彦が今日は刀を振るっている。どんな武器でも使いこなすと言われ
る彼らしく、普段使っていない武器でも堂々と忍人に渡り合っている。一方の忍人も、得
意の刀では布都彦に負けられないと言わんばかりに熱の入った動きで布都彦の攻撃を受け
流す。
「……?」
しかし、見ている間に千尋は少し不思議な気持ちになってきた。
なんといえばいいのか、……二人ともとても強いのだが、何か二人の間に齟齬というか、
違いがあるような気がするのだ。
「…どうなさいました、我が君」
突然声をかけられて、千尋は飛び上がった。
「…おや」
柊は手袋をした指を一本口元に当て、
「驚かせてしまいましたか。…申し訳ございません」
おっとりと慇懃に微笑んでわびた。それから、相変わらず刀を交わし続ける二人を見やっ
て、
「我が君がお声をかけたというのに気付きもしないのですか、あのうっかり者たちは」
問題だと言わんばかりに眉をしかめた。
「…うっかりって」
布都彦はともかく、忍人をそう表現するのは柊くらいではないだろうか。
「ちがうの、声はかけてないの。…あの二人が練習手合いなんて珍しいから、ちょっと見
ていたくて」
柊はゆるりと首をかしげ、千尋をのぞき込む。
「その割に、難しいお顔をなさっておいででしたが」
…いつから見てたんだろう。
千尋は思わず額に手を当てた。
「…うーん、…どういえばいいのかな」
うまく説明できる気がしないのだが。
「あのね、…ちょっと不思議なの」
視線を柊から二人に戻す。その動きをじっと見ていると、先刻の違和感がまたじわじわと
よみがえる。
「二人ともとっても強くて、一歩も譲らないって感じなんだけど、でもその強さがどこか
違う気がする」
柊がさわりとみじろいだ。
「…はあ」
「……変なこと言ってるって思うでしょ」
千尋が拗ねた顔で柊を見上げると、思いがけず彼は真面目な顔で千尋を見下ろした。
「とんでもない。…さすが我が君、お見それいたしました」
「………なんだか、柊にそう言われると、からかわれているみたい」
「いいえ我が君、私は本心から感心しているのです。…ご慧眼、さすがです。あの二人の
強さの質を見抜かれるとは」
素直に受け取っていいのかしら。
千尋は人差し指で額を押さえた。
「…見抜いたわけじゃないわ。どうちがうかはわからないもの。…柊は、わかる?」
柊は片眉を上げ、…隠されていない方の目で優しく千尋を見た。
「我が君のお考えと同じかどうかはわかりませんが、私なりの答えは持っております。…
我が君の違和感が少しでも消えるなら、お話し申し上げますが?」
「お願い」
「かしこまりました」
そうですね、と少し空を見てから、柊は話し始めた。
「一番わかりやすい言い方でたとえるなら、…この勝負、勝つのは布都彦かもしれません。
ですが、負けないのは忍人でしょう」
・・・・・。
「…は?」
せっかくの説明だが、千尋はすぐには飲み込めない。
「えーと、…それって同じことじゃ、ない?」
いいえ、と柊は首を横に振った。
「今のご説明ではわかりにくかったでしょうか。では言い方を変えましょう。…この立ち
会いは、あくまで練習です。…であれば、勝つのは布都彦かもしれません。しかしこれが
もし命のやりとりなら、忍人は決して負けますまい。どんな卑怯な手を使っても、生き残
ろうとするでしょう。一方で、布都彦は決して卑怯な手は使わない。相手が足を滑らせれ
ば、それがたとえ敵であっても手をさしのべる。…二人の違いはそこです」
千尋は目を見開いた。それから眉を寄せる。
「…忍人さんが卑怯なことなんか、するかしら」
「場合によってはですよ。…あれも潔癖な人間ですから、普通ならそんなことはしないで
しょうね」
柊は苦笑してから、二人の戦いを見やった。 すぐそこの戦いを見ているのに、その瞳は
なぜか遠くて、……まるでここではないどこかの戦いを見ているようだと千尋は思った。
「布都彦は武人で、忍人は将です。武人故、布都彦は強さに美しさを求める。…けれど、
強く強くなろうとする一方で、命へのこだわりはむしろ薄いように私は思います。他方、
忍人は将です。初陣から既に彼は部下を持つ身だった。戦の中、自分の身一つではいられ
ないことはたたきこまれております。彼が生き残るかどうかに、何百何千の兵の命がかか
ることもままあるのです。ですから、このような一対一の戦いは別として、戦場で兵を率
いて戦うときなら、どんな卑怯な手を使っても、あさましいと言われても、彼は生きのび
ることを選択するでしょう」
柊の言葉がゆっくりと千尋の中に入ってくる。…その意味がじわじわとのみこめてきたと
き、千尋は知らず唇を噛みしめていた。
「…我が君?」
「…私は、…布都彦にも生きのびる戦いをしてほしいわ」
「……」
柊は一瞬沈黙してから、ゆるゆるとうなずいた。
「我が君のお言葉はごもっともですが、…難しいでしょうね」
「…どうして?」
「布都彦が非常に潔癖な子だからです。…持って生まれた性格もあるでしょうが、…彼が
置かれた状況がそれに拍車をかけてしまった」
どこか痛みを堪えるような顔で柊は言う。
「尊敬していた兄が罪人扱いされるようになってから、彼は潔癖の上にも潔癖を求める子
になってしまった」
だから、…たとえそれが己の命のためであっても、…いやむしろ己の命を守るためであれ
ばなおさら、…卑怯なことはしないでしょう。
知らず、顔を曇らせた千尋に、しかし柊は安心させるように笑いかけてきた。
「大丈夫です。…布都彦は大丈夫。……むしろ…」
言いかけて、柊は言葉を飲み込んだ。何を言おうとしたのか千尋が問おうとしたとき、柊
は彼女をすっと背に庇い、布都彦の刀にはじかれて飛んできた忍人の刀を足で踏みつけて
押さえる。布都彦の刀の切っ先は、そのまま忍人の喉元を狙っている。忍人は唇を片方つ
り上げるようにして薄く笑い、まだ刀を握っている左手をだらりと下ろしてあっさりと降
参の体をとった。
頬を上気させた布都彦は、忍人の刀の行方を目で追って初めて二人の存在に気付いたらし
い。
「姫!柊殿も!」
うれしそうな声を上げた。
一方で忍人は表情一つ変えず、ただ目でうなずくだけだった。おそらく、千尋が二人の姿
を見つけたときから、彼は千尋がいることに気付いていたのだろう。
武人の強さ、将としての視野、二つともに備わるにこしたことはない。けれど、そのどち
らかしか選べないというなら、彼方は強さを、…他方は命を選ぶのだろう。
つたないものをお目にかけましてと千尋に対して謙遜しつつも、忍人に勝てて嬉しそうな
布都彦は、今度は千尋から柊に向き直った。
「お手すきなのですか、柊殿。よろしければ一勝負お手合わせ願えませんか」
柊はとんでもないと首を振った。
「忍人を負かした君に、私がかなうものですか。相手などとてもつとまりませんよ」
「将軍に勝てたのはほんのまぐれです」
慌てた様子で布都彦が声を急くと、忍人もゆるりと笑って言葉を添えた。
「柊は卑怯な手を平気で使う。手合わせをすれば布都彦の戦いの幅が広がるだろう。柊は
ぜひとも布都彦の相手をするべきだ」
……卑怯。
ぴくりと震えた千尋の肩に、柊は気付いたろうか。…口に出しては何も言わず、ただ忍人
に向かって鼻を鳴らした。
「あまりな言い様ではありませんか」
「事実だろう。俺も昔はずいぶんと泣かされた」
「君が泣くところなど見たことがありませんが」
「誰が貴様の前でなど泣くか」
「泣くところが見てみたいですねえ。久しぶりに手合わせしましょうか」
「柊殿、私とは手合わせしてくださらないのですか?」
………場が混乱してきた。
たまらず千尋は声に出してくすくす笑い出す。布都彦は頬を赤らめ、忍人は肩をすくめ、
柊はにやりと笑って、……やがて皆が千尋に唱和するようにゆるゆると笑い始めた。
笑いながら千尋は、胸にわだかまる暗い予感を忘れようと躍起になっていた。

…布都彦は大丈夫です。……むしろ。

…柊はあの時、むしろの後をなんと続けようとしたのだろう。
彼の目には、何が見えているのだろう。…何を知っているのだろう。

聞けない千尋のつま先の向こう、柊の足元で、押さえつけられている忍人の刀が石にこす
れて、ぎりんと厭な音を立てた。