茶会

「生真面目ではありましたが、あそこまで頑なではなかったんですがねえ」
茶の入った器を前に、おどけた声で柊が風早に呟いた。風早は注ごうとした手を止めて柊
を見る。
「お茶にくらいつきあっても良さそうなものなのに」
「君に誘いに行かせた俺の判断が間違っていたね」
次からは俺が自分で誘おう。苦笑を浮かべて風早は茶を注ぐ。煎った豆を軽くつぶして湯
を注いだその豆茶は、風早の自慢の一品だった。
「敵を欺くにはまず味方からという言葉もあるというのに」
「欺く期間が長すぎると、そういう言葉も空言に聞こえてしまうんだろう」
「厳しいな、風早」
柊は卓に伏した。
「君だけは私の味方だと思っているのに」
「…まあ、殺そうとまでは思わないよ」
「………」
「心配しなくても、千尋も今のところは、君を疑っていないようだよ。彼女に信頼されて
いるだけでもよしとしないとね。」
「…忍人に信頼されたいと思うのは、虫がよすぎる?」
「…一番つらい戦場で戦い続けたのは師君と忍人だからね」
柊の顔からおどけた表情がすっと消えた。
「俺は姫と那岐をつれて別世界に逃げた。道臣殿はもともと後方支援が得意だから戦場に
はあまり出ない。……羽張彦はすでに幽明の住人だし、他の弟子たちは皆行方知れずだ。
どう考えても、忍人が一人貧乏くじだろう?」
「……」
「師君は、君の裏切りも、何か考えあってのことと受け入れてくださっただろう。だがそ
れは師君が君の師匠たればこそだ。あの戦場に置きざられた形になった、弟弟子の忍人に、
それを受け入れろとは、…君も無理強いできまい」
「置きざった、という言われ方は、…手厳しいな」
柊はようよう、それだけを反駁した。が、風早はいつにない冷徹な声で言葉を続けた。
「事実置き去りにしたんだよ。君と、俺が」
まだ16だったのに。将軍の一人に名を連ねていたばかりに。多くの部下の命を預かって。
多くの部下の命を失って。傷ついて、傷ついて、傷ついて。
「君の言うとおりだ。忍人はもともと自分に厳しい傾向があったが、今ほどではなかった。
笑ったり怒ったりも年相応にする子供だった。彼を今の彼にした責任は、たぶん、俺にも
君にもあるんだ」
柊は片手をあげて、風早の言葉を制した。
「そこまで自責してみせることはない。君の責任は私より遙かに軽い」
いつものふざけた声色が消えている。急に何歳も老け込んだような声だ。
「……」
そしてしばらく黙り込む。
風早は自ら注いだ茶を口に含んで、長く舌の上を転がしていた。香ばしい香りだが、時々、
異世界の煎茶が恋しくなる。大陸の方にはすでに原型が存在しているはずだが、今の豊葦
原にはまだない茶だ。大陸に存在している茶も、異世界のものほど洗練されてはいない。
葉を摘んで、乾かしただけのもののはずだ。山吹色の美しい水色は遠く望めまい。
山吹色。黄金の色。二の姫の髪の色。……忍人の、剣の色。
「…あの、忍人の剣は…」
風早はぽつりとつぶやいた。
「はこんとう、と忍人は呼んでいたが、……あれは、忍人が岩長姫の元にいたときに使っ
ていたものとはちがうね」
「……」
柊の返答はない。風早も、特に同意を求めているわけではない。同意を求めなくても、そ
れは事実だったから。
「どんな字を書くのかな、はこんとう、とは。羽の金色の刀かな。…それとも」
……破る、魂の、刀、と書くのかな。
静かにつぶやくと、柊がまっすぐに自分を見るのがわかった。
「あの剣は、……忍人の命を、削っているね」
「……」
柊は再び風早から目をそらした。そして唐突に口を開く。
「私は、自分の選択を悔いたことはありませんがね」
会話がかみ合っていないようにもとれる一言だが、風早は黙って聞いていた。
「たとえそれがどんな結果を産んでもね」
柊は一口茶を飲んだ。
「……それでも、……私の知らない既定伝承がどこかにないかと、…探すことはあります。
…羽張彦と一の姫が幸せに暮らす未来がないか、とか、………忍人があの剣を手にしない
アカシャが存在しないか、とか」
「………船の竹簡は…」
「もうとっくに、読んでしまいましたよ」
柊はうっすらと笑う。
「それでも、どこかにあるかもしれません。……私の読んでいない既定伝承が。私の見え
ない未来が」
それがもしも、どこかにあるとしたら。
「それはきっと、千尋の手の中にあるのだろうね」
風早は静かにつぶやいた。柊は、残った左目を少し見開いて、……
「……ええ、そうですね」
あとはただ、器からたちのぼる湯気を、二人静かに見つめるだけだった。