海鳥啼いて 「土岐ってさ、冷え性だろう」 電車のドアにもたれた大地がおもむろにそんなことを言い出したので、土岐は眉を上げて 彼の方へ視線を流した。 「…何や、藪から棒に」 「ちがうかい?」 くすくす笑いを含んだ声。応とも否とも応えにくく、蓬生がむっつりと黙っていると、 「沈黙か。当たりだね」 妙にうれしそうに大地は決めつけた。浮かれた様子が気に障る。蓬生は顔をしかめた。 「…俺、基本、温厚な性格やから」 言いながら大地を流し見ると、唇がかすかに三度動いた。どこが、と言いたいのだろうが 声に出すことはこらえたようだ。 「他の誰かに同じこと言われたんやったら、せやね、ですますんやけど、榊くんに言われ るとめっちゃむかついて一言言わずにはおれんような気持ちになるんはなんでやろな」 「どうしてだろうねえ」 蓬生の言葉の刺には気付いているはずなのに、大地は鼻歌でも歌い出しそうなのほほんと した声で応える。 今日は、会ったときからずっとこの調子だ。 蓬生はまた顔を背けた。 彼が浮かれている理由を蓬生は知っていた。しかもその原因は自分だ。…蓬生としては、 ただため息を何度も呑み込むしかない。 やがて、ここだよ、と大地に促されて蓬生は電車を降りた。あまり繁華ではなく観光地で もない、改札を出たとたんに目の前に住宅街が広がる小さな駅だ。 地元民チョイスなのだから、ここで降りるにはそれなりに何か理由があるのだろう。が、 それにしても、と蓬生が案内板の類を探してきょろきょろしていると、大地がいきなり角 の建物を指して、 「ちょっとコンビニに寄っていいかい?」 と聞いた。 「…?…どうぞ」 すたすたと自動ドアから中に入っていく大地に続いて、蓬生も中に入る。買い物があるわ けではないが、外で待っているのも寒いからだ。一方の大地はまっすぐレジに行って、何 か注文している。…どうやら、肉まんを買っているようだ。 「お待たせ、行こう」 すたすたと大地は戻ってきた。 「はい、土岐の分」 「……」 無言で戸惑っていると、無理矢理に、肉まんの入った包みを押しつけられた。 「持ってると暖まるよ、指先」 「カイロか」 土岐は苦笑した。 「小腹も空いたしね」 「さよか」 コンビニを出て、道を横切る。…大地は迷いなく一本の道を選び、歩き始めた。小腹が空 いたというのは本心だったのか、人気がない道で彼はさっさと肉まんにかぶりついている。 蓬生は苦笑で、自分の手の中の肉まんを少しもてあそんだ。 「…ほっとしたわ」 「何が」 「君が、寒いんやったら自分と手を繋ごう、とか言い出す奴やのうて」 「…」 大地は微妙な苦笑をのぞかせた。 「…言ってもいいけど、こんな昼間っから俺と君でそれをやったらただの嫌がらせだろ?」 「せやから、そんなしょうもない嫌がらせをする男やのうてよかった、いうてるんやんか」 「土岐だったらやるよね」 「……」 「……」 一瞬、睨み合うような沈黙があり。 「……かもしれんね」 大地がぷっと吹き出した。蓬生は天を仰ぐ。 今日は何だか調子が狂う。自分のペースに持ち込めない。 …まあでも、しかたがない。今日は蓬生にしてみれば、最初から敗北しているようなもの なのだ。 『大地の誕生日だから』 ただそれだけの理由で、わざわざ神戸から横浜にまで足を運んでしまった時点で、今日の 自分は彼に完敗しているのだ。 「中華街の肉まんはもちろんおいしいけど」 残りの肉まんを三口ほどで片付けて、大地は言う。 「コンビニの肉まんもシンプルでいいよね」 そのとき、住宅街の間を抜ける道の両側がふいに開けた。 道路と堤防を挟んだ向こうに海が広がる。 灰色の冬の海は、今は青空を照り返して、どこかのんきに明るい。冬の厳しさを隠し、小 春日和の優しさの仮面をかぶる。 −…大地みたいやな。 ふと思う。 大地は、実際は自分にも他人にもひどく厳しい人間なのに、軽みと暖かさでするりと人の 心に入り込む。 気を許すと、ひやりと冷たい。…なのに、包み込む腕はふわりと柔らかい。 ……その、大きな、手。 「……」 −…さあそろそろ、…頃合いやろ。 「大地」 敢えて名字ではなく名前で呼ぶと、大地がはっと肩をふるわせた。そして、蓬生が差し出 した手を見てぱちぱちと二度まばたく。 「…何だい?」 「手」 「うん。…見ればわかるよ」 「つなご。…寒いし、ここなら人おらんし」 「……っ」 敢えてにこりと笑ってやると、大地が小さく息を飲んだ。 「人のおらん冬の海にわざわざ連れ出したんは、そういう意味なんやろ?」 「…っ、ちがっ、この近くのレストランにランチの予約を入れてあって、ここに来たのは その予約までの時間つぶしで、…土岐が言ったようなことは、俺は全然…」 「考えんかった?」 蓬生は眼鏡の奥の瞳をすがめる。 「ほんまに、ひとっかけらもそんな気ぃ起こさんかった、て、…言い切れるか?」 口ごもる大地の左手を誘うように下からすくい上げ、蓬生は手を繋いだ。観念した顔で、 大地もその手を握り返す。 「…君ならやるよな、とは言ったけど、まさか本当にこんな日に嫌がらせされるとは思わ なかったよ」 「嫌がらせやないよ。こんな日ぃやし。…プレゼントの予告編や」 「……」 「……お誕生日おめでとう。…大地」 微笑んで視線を流すと、大地が何かをこらえる顔になった。蓬生の笑顔が艶然と深くなる。 「ほんまのプレゼントは夜までお預け、な?」 「…あおっておいてお預けって、…やっぱり嫌がらせじゃないか」 ぶつぶつと呻く大地に、こらえきれず蓬生は笑った。 海鳥が笑うように高く啼いて、空を駆けていく。さくさくと踏む砂の音さえ、二人を暖か く笑っているかのようだった。