閏


「私の生まれた日ですか?2月29日です」
誕生日を聞いた千尋に、柊は穏やかな眼差しで答えた。
「…この中つ国にも、閏年はあるの?」
何気なく聞いてから、思わず千尋は首をすくめる。
閏年の概念がない場所で、閏年があるかどうかを聞いても相手には伝わらないだろう。そ
もそも閏年とはなんぞや、という説明から始めなければ。
「…あ、ごめんなさい。いきなり言ってもわからないわよね。えーと、…閏年っていうの
は…」
口を開いたものの、どう説明すればいいかわからずに千尋が眉間を指で押さえると、柊は
苦笑を浮かべてさらりと言った。
「何年かに一度、余分な一日が増える、…そういう考え方のことではありませんか?」
そして千尋の頷きを待たずにこう続ける。
「…陛下のいらっしゃった世界とは考え方や数え方は違いますが、中つ国にも似たような
概念はございます。閏月や閏日、閏時」
そんな呼び方ではありませんがね。
そうも付け加えて、また柊は苦笑した。…その眼帯で隠されていない瞳が、ふと虚空を泳
ぐ。
「……時というものは、どの世界でも、望むようには割り切れぬものです。人が勝手にこ
れで割り切れたと思っても、何年も何年もかけて、余分な時間は少しずつ少しずつ降り積
もっていく。…そうしていずれ、一刻、一日、一月の余分が生まれる」
確かにそうかもしれない。柊の泳ぐ眼差しの先を追いながら千尋もそう思った。
閏年があっても、余った時間というのは吸収しきれないのだ。普通、4年に一度、2月2
9日はめぐってくるけれど、100で割り切れる年は閏年ではなく2月は28日までで終
わる。ところが、400で割り切れる年はまた閏年となり、2月29日が存在する。
調整が必要なのは日だけではない。時計の世界では閏秒が存在して、時折、ほんのわずか
なずれを吸収させているという。それは人が感じ取れないほど本当にかすかなずれだそう
だ。
あったりなかったり、なかったりあったり。
ぼんやりしていると、黙り込んでいた柊がまた口を開いた。
「私もそうした、余分の一つなのかもしれません」
「……?」
千尋は柊を見上げた。柊はぼんやりしている。
「…忍人や布都彦、道臣といった、まっとうな人間ばかりで世界が成り立てばそれにこし
たことはない。……けれどそれでは世界が割り切れないのかもしれません。歪みやひずみ、
よどみ、…そうした余計なものがなくては成り立たない。……そういう余分な物を人の形
に凝り固めたのが私なのではないでしょうか」
その柊の言い方が千尋の心に何かをかき立てた。
…それは、何とも言えぬ不安。…心細さ、さみしさ。
「…柊は余分なんかじゃないわ」
だから思わず口走った。陳腐と知りつつ言わずにはいられなかった。
「柊は必要な人よ」
千尋の声に、柊はふっと我に返った眼差しで見下ろしてきた。珍しいことに、その瞳にほ
んのわずかな刹那ではあったがありありと、しまった、という色が浮かぶ。
…だが次の瞬間、柊の表情から煙のように全ての色はかき消えていた。
「陛下にそんな風に仰っていただけるとは」
胸に手を当てる。顔中に広がる、とらえどころのない人をからかうような笑みは無色透明
なただの仮面だ。
「私は何という果報者でございましょう」
優しくささやく言葉は軽く空虚で、千尋の胸にひやりと穴を開ける。
「……」
たまらなくて唇を噛み、千尋は、柊の服の裾を、子供がそうするようにぎゅっと握りしめ
る。柊はやや困惑した様子だったが、小さく息を吐くように笑ってから、手袋に包まれた
手でそっと頭を撫でてくれた。

この感触を忘れては駄目、手放しては駄目、と、…千尋の心の底で、誰かがひそりとつぶ
やいた気がした。