噂話 星奏学院は自由な校風で、校則も比較的緩やかだ。芸術系の学科が設置されていることも あり、髪型や装飾品は自己表現の一つと認められている。 だから、大地の指輪もさほど見とがめられはしなかった。大ぶりではあったが、所詮指輪 一つだ。 だが、彼に注目する女子生徒、特に身近に接するオケ部員達にとっては、格好の話のタネ ではあった。何しろ、片時も外さない。演奏中でも外さない。しかも、ピアスやブレスレ ットではなく指輪一つ。 「訳ありっぽいよね」 その会話を律が漏れ聞いたのは、音楽史の自習中だった。バロック音楽について800字 前後でまとめよというおおざっぱな課題に丁寧に取り組んでいると、適当に片付けてしま ったらしい女子生徒達が、少し離れたところでひそひそとおしゃべりを始めたのだ。 口火を切ったのはオケ部でクラリネットを吹いている同級生で、目端が利くので有名だっ た。 「でも薬指じゃないしねえ」 反論している声も、同じオケ部の女子生徒だ。チェロ担当なので、全体練習の時によくヴ ィオラの大地と隣り合わせている。 「中指ってどんな意味だっけ」 「…え、中指にはめる指輪って意味あるんだっけ?」 二人が答えに詰まっていると、 「どっちの手?」 もう一つの声が割り込んできた。三人目の声はオケ部の子ではない。 「手にもよるの?右手か左手かって?」 「よるよ。右手の中指なら恋人募集中。左手の中指ならあなたが好き」 オケ部の二人は、へええ、と声を揃えてから、 「…右手の中指だよね」 最初に指輪の話題を持ち出したクラリネットの子が、チェロの子に確認を取る。 「うん、弓持つ手だった。…ああ、じゃあ、その線はなしだね。榊くんにコクった子、こ とごとくふられてるもん」 思わず律の手が止まる。 指輪の意味よりも、告白云々の方に少し驚いた。親友は成績優秀容姿端麗で、さぞかしも てることだろうと律ですら思うが、いつも一緒にいるのに、告白されただの断っただのと いう話題を大地が持ち出したことはただの一度もなかった。 …というか、昼休みも放課後もほとんど一緒にいるのに、いったいいつ告白されているの だ。 「そもそも、男子が、指輪をつける指の意味なんか真剣に考えないと思うよ。やっぱり彼 女か誰かからのプレゼントなんじゃない?」 指の意味を教えた子の言葉に、いやいやそれはないと反論したのはクラリネット嬢だ。 「だって、榊くんオケ部だよ?試験期間以外は放課後も土日も練習あるし、オケ部ではず っと如月くんとべったり…」 言いかけて、急に声が小さくなった。当の律がそこにいることに気付いたようだ。 「…付き合ってる時間なんか、ないって」 しかし、ひそめられた声も律の耳は聞き取っていた。レポートに集中しようとは思うのだ が、全神経が耳になってしまったようだ。 「じゃあ、別れた彼女からのプレゼントだ」 ひそひそひそ。噂は続く。 「だから、薬指につけないんだよ。ステディリングは薬指につける、くらいは、男子でも 知ってるでしょ」 「…確かに、そっちの線はありそうかも…」 「なくした恋かあ。榊くん、軽そうだけど、実は結構一途なのかもね」 「だね。忘れられない恋人なんだよ。うう、ドラマチック」 「…あ、ドラマチックといえばさあ」 話題は大地からテレビの新番組に変わった。集中していた神経が一気に弛緩する。律は小 さく息を吐いて改めてレポートに目を向けたが、集中はすっかり途切れてしまっていた。 ずっと一緒にいて、なんでも知っているつもりでいた。 けれど、自分は、自分で思うほど大地のことを知らないのかもしれない。 淋しさよりも少し鋭い痛みを心にしまって、律はシャーペンを握り直した。