ワルツの秘密


「すいませーん、暗幕を…」
文化祭実行委員が詰めているはずの生徒会室をかなでがのぞくと、出迎えたのは大地だっ
た。
「やあ、ひなちゃん」
「…?」
いつもの大地の笑顔にかすかな違和感を感じつつ、かなではこんにちは、と笑いかけた。
「大地先輩、実行委員じゃないですよね。どうしてここに?」
「実行委員は出払ってるみたいだよ。俺は模造紙をもらいにきたんだ。物はここにあるん
だけど、勝手に持って行くわけにもいかなくて困ってるところ。…ひなちゃんは?…ああ、
今暗幕って言ったね?」
「はい。追加で申請した分をもらいにきたんですけど」
「さてはお化け屋敷だね」
言い当てられて思わずかなでは苦笑した。
「お見通しですね」
大地も微笑む。
「追加か必要なくらい暗幕を使う出し物といったら、お化け屋敷と相場が決まっているか
らね。…暇だし、実行委員が帰ってきたらすぐもらっていけるように、暗幕を探しておこ
うか」
言いながら立ち上がった大地が、ふと、ブリッジを押し上げる仕草をしたのを見て初めて、
かなでは自分の違和感の原因に気付いた。
「大地先輩、その眼鏡…」
裸眼で何も問題ないはずの大地が、今日は黒縁の眼鏡をかけている。
「これ?…どうかな、似合ってる?」
「はい、お似合いですけど…目が悪くなったんですか?」
大地は医学部受験に向けて猛勉強中だ。急激に視力が落ちるということもあるかもしれな
いとかなでは思ったのだが、大地は笑って首を横に振った。
「いや、伊達だよ。…ほら、素通しだ」
外された眼鏡にはレンズがなかった。
「文化祭の出し物の小道具なんだけどね。…見た人がおもしろがってくれるから、ついつ
い外せなくて」
その理由が、人を楽しませることを楽しむ大地らしくて、思わずかなでの頬に笑みがこぼ
れる。それを見て、あれ、ひなちゃんにも受けたのかな、と、大地は磊落に笑った。
「大地先輩のところは何をするんですか?」
「うちは宝探し」
ああ、あったあった、と、暗幕を見つけて引っ張り出しながら、大地はかなでの問いに応
じた。
「ヒントを学校のあちこちにばらまいて、宝にたどりついてもらうゲームだよ。システム
を考えた奴が結構がんばったから、おもしろいものになったと思うよ」
「じゃあ、その眼鏡は、ヒントの一つなんですか?」
「まあ、そうとも言えるしそうでもないとも言えるかな。……俺は、何人かと交替制で、
迷った人に一度だけヒントをあげる係なんだ。…で、眼鏡ってわけ。当日は白衣も着るよ」
「博士みたいですね」
「博士なんだよね。その名もヒント博士。……もうちょっといい名前がないかなって、み
んなで考えてるんだけどね」
いくらなんでもあんまりだろ。ヒントを出すからヒント博士。
大地が難しい顔をしてみせるのがおかしくて、かなではくすくすと笑った。それを見て大
地も顔をまたほころばせる。
「よかったら、ひなちゃんも遊びにおいでよ。宝にたどり着いた人は早い者勝ちで商品が
もらえるんだ。…ほとんどは、うちのクラスの奴が希望に応じて何かしますっていう権利
なんだけどね。うちは特技がある奴多いから、バラエティに富んでるよ。家庭科部の部長
にケーキを焼いてもらう権利とか、テニス部のエースに手取り足取りテニスを教えてもら
う権利とか」
それから、少し大地は悪戯っぽい目になった。
「後夜祭のワルツの相手を逆指名できる権利、なんてのもあるよ。後夜祭のワルツはたい
てい、男からコサージュを渡して申し込みだから、うちのクラスの男子に気になる相手が
いる女の子にはお勧めかな」
「大地先輩はどの権利がお勧めなんですか?」
「そうだなあ。学年トップの秀才に、希望教科を教えてもらう権利、かな」
そう言って、ウィンク一つ。…ということはつまり。
「大地先輩に、教えてもらえるってことですか?」
「そういうこと。……ああでも、この権利をわざわざ取得する意味はないな、ひなちゃん
の場合。…希望されればいつでも、個人教授にはせ参じるからね、お姫様」
「またそういう言い方をしてからかう」
かなでが苦笑すると、
「からかってないよ、本心だ。…いつでも教えてあげるよ。困ったらおいで」
大地は、微笑みながらも存外真面目な顔で言った。それから、からりとした声で話を変え
る。
「そうそう、響也にはこういうのもいいんじゃないかな。花屋の息子に、後夜祭のコサー
ジュを作ってもらう権利。…本人、権利を取った人にはただで作るって言ってたよ。太っ
腹だろう?」
「確かに」
「あいつはセンスがいいし、顔見知りには格安にしてくれるから、同級生はいつもお世話
になってるよ」
「大地先輩も、ですか?」
大地は笑って首を横に振った。
「残念ながら、後夜祭のコサージュでお世話になったことはないな。オケ部の弦は、後夜
祭ではずっとワルツを演奏し続けなきゃならないから、踊れないしね。…でも、先輩が卒
業するときの花束は頼んだよ。清楚でかわいかった」
「後夜祭、去年までは踊れなかったでしょうけど、今年は三年生の参加は文化祭のコンサ
ートまでで、後夜祭は引退扱いなんですよね、確か。誰かにコサージュあげるんですか?」
「………」
大地は、唇を三日月の形につり上げるようにして、ゆっくりと優しく笑った。
それは、シャットアウトの笑顔。
「ひみつ」
「………」
次の言葉に詰まったかなでの頭を、ぽふぽふと、小さな子にそうするように撫でて、大地
は引っ張り出した暗幕を机の上に積み上げ始める。
ざわざわと人が大勢戻ってくる気配と足音の中、小さな生徒会室はどこかひそりと静謐で、
…せつない秘密の匂いがした。