破魂刀と姫

最近、那岐は考え込むことが多くなった、と千尋は思う。
何を考えてるの、と聞いても、答えてはくれない。眠いんだよ、とか、魚に飽きたからキ
ノコが食べたい、とか、嘘っぽいことを話してくれるだけで、本当は何を考えているのか
ちっとも教えてくれない。
ふう、とため息をつく。と、そこへ、
「…姫」
通りすがりに忍人が咳払いを一つして何か言いかけたので、思わず千尋はぴしりと姿勢を
正して、
「はい、すみません!」
反射的に謝ってしまった。
く、と忍人が笑う。…最初の一声っきり、声は出さないが、肩が震えている。
「…あのう」
「…いや、俺はまだ何も言っていないのにと思って」
なんとか笑いを飲み込んだらしく、忍人はいつもの声で言った。
「…だって」
千尋は思わず恨みがましい目で忍人を見てしまう。
「きっと、将のそういうたるんだ姿は、とか、言われると思って」
「わかっているならしないことだ」
「…はい」
……ああ、結局怒られるのね、と思っていると、ぽん、と忍人が千尋の頭に手をのせた。
「……そう真剣に落ち込まないでくれ。…このあたりに兵はいないし、ため息をつきたく
なることもいろいろあるだろう。…俺はいつも君に厳しすぎるようだ。すまなかった」
ふわ、と優しく微笑まれて、千尋はどきりとした。
「…遠夜が、文字の勉強をしたいと言って君を捜していた。もし時間があるようなら、さ
っきは君の部屋の前にいたから、行ってやるといい」
もう一度静かに笑んで、忍人はそのまま堅庭の方へ行ってしまった。
「………」
千尋は、忍人の姿が見えなくなってから、もう一度ため息をついた。
…最近、忍人さんがよく笑うようになった気がする。…笑うといってもげらげら笑うわけ
ではなくて、とても優しい、やわらかい微笑み。仲間のみんなにも、遠夜にも、…私にも。
それはとてもうれしい。…うれしいけれどなぜだか、見るたびにぎくりとする。…どうし
てなのかはわからないけれど、不安が募る。
そして、もっとわからないことに。
「……どうして、那岐が考え込んでいるのと、忍人さんの笑顔が、関係あるような気がす
るんだろう……」
どう考えたって、関連があるはずもない。…強いて関連性を見つけるとすれば、千尋がそ
のことに気付いたのが同じ時期だというだけだ。……それなのに。
千尋はまたため息をつきかけて、はたと、遠夜のことを思い出し、あわてて自室の方へ向
かった。

その晩、千尋は夢を見た。
「……?」
森の中を歩いている。…深い霧が立ちこめている。
「筑紫に入った時みたい」
考えてからどきりとした。
自分の周りには誰もいない。……また誰か、霧の中に消えたのだったら?
あわてて周りを見回す。牛乳のように濃い霧が静かに流れる中、時折木々の間を誰かが動
いているような影が映る。
「……誰?」
金色の髪が見えた気がする。
「…那岐?」
あわてて千尋はその影が見えたと思う方向へ走り出した。
だが足下は木々の根が絡んでいて走りにくい。那岐の姿と見えたものは、すぐに霧に紛れ
て見えなくなった。
あとはただ、深い霧。
「……これ、…夢よね?」
千尋は自分で自分に確認してみる。もちろん誰も答えない。
「………」
千尋はだんだん怖くなってきた。どうすれば、この夢から覚めることが出来るのだろう。
…そのとき、天鹿児弓がりぃん、と鳴った。
「…!」
霧の中、人影が動いている。ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
…敵か、味方か。わからずに千尋が身構えていると、ふいに霧の中から二人の人間が姿を
現した。
男性が一人と女性が一人。黒い髪に黒い瞳。…これといって特徴のない顔立ち。…という
か、表情に乏しく、次に会っても見分けることが出来ないような、ぼんやりとした顔をし
ている。
「迷子か」
男がぽつりと言った。声も、単調で抑揚がない。
「迷子じゃ」
呼応するように女が言う。
「…あのう。…あなたたちは?」
千尋がおそるおそる質問すると、くすくす、と二人は笑った。
「我らは二つで一つ」
「一つで二つ」
「あなたがいつも目にしているものだ」
「とてもよく見かけるものだ」
突然のなぞなぞに、理解がついていかない。千尋が、えーと、えーと、と戸惑っていると、
二人はまたくすくすと笑った。
二人の声は明らかに笑っているのに、顔には表情がなくて、怖い。刀の切っ先にも似た気
配。
千尋の背を、すうっと悪寒のようなものが通り過ぎていった。
「…あなたたち、もしかして、…破魂刀、なの?」
突然二人の雰囲気が変わった。茫洋とした雰囲気ではなく、明らかに千尋に対して圧力を
向けてくる。敵意とは少し違う、何か押し返してくるような力だ。
森が、ごおう、と鳴る。千尋の手元で、天鹿児弓が守るようにまた、りぃん、と鳴った。
「正解」
「正解」
二人は声を揃えた。
「正解した褒美に、あなたに一つ警告を差し上げよう」
男が言った。
「将軍の命は我らのもの。…そのさだめはもう変えられぬ」
女が続ける。
「けれど、鬼道使いはこの惑いの森にとらわれているだけ」
男が歌うように言い、
「我らは、彼の命までもとろうとは思わぬ」
ささやくような声で女が受け、…そうして二人は再び声を揃える。
「「早う引き戻してやるがいい」」
千尋は、まっすぐに二人を見た。圧力のようなものがまた強くなる。だが、今度はさっき
までのようにただ押されようとは思わない。…この圧力を、自分の意志で押し返す。
「…忍人さんの命も取らないで」
精一杯の力で、声を張る。
破魂刀の二人が、うすら笑う。
「やれ、人は欲深じゃ」
「欲深じゃ。それはならぬ」
「それはならぬ。それを望めば姫もこの森にとらわれよう」
圧力に耐える。負けたくないと、千尋ははったと二人をにらみ据える。天鹿児弓がびぃん、
と音を立てた。弦鳴りの音だ。
ふと、圧力が消える。
二人は、元の茫洋とした雰囲気に戻っていた。
「……?」
突然の変化が理解できず、千尋が戸惑っていると、また男の方から口を開いた。
「だがあるいは」
「…あるいは」
「そなたたち二人なら」
「そなたたちは神宝を持つ故」
「そなたたちが二人そろうなら」
「あるいは、……れる、やもしれぬ」
途中が聞き取れない。
「…え?」
が、聞き返す千尋に彼らは頓着しない。まるで、もはや千尋が目に入っていないとでもい
うかのように。
「……やもしれぬ」
「……彼も。……我らも」
二つの姿は、一つに重なって、すうっと消えた。…その後を霧が覆い尽くす。あっけにと
られている千尋自身も霧に包まれて、その霧が重くて、苦しくて。

「……!」
目が覚めたら、いつもの自分の部屋だった。まだ夜が明けたばかりで、部屋の中は少し薄
暗い。普通に掛けていたはずの掛け布団が体にからみついている。苦しかったのはこれか、
と、ぐるぐる巻きになった布団からよいしょと抜け出して、千尋はふう、と息をついた。
……今見たものは、ただの夢だろうか。
……それとも、ある種の現実なのか。
考え込んだが、よくわからない。…誰かに相談しようかとも思ったが、誰に相談すればい
いのかもわからない。
…風早に意見を求めるか、柊に夢解きをしてもらうか。…それとも、率直に忍人に聞いて
みようか。
だが、破魂刀が人の姿になって話しかけてきたなんて、言いにくい。ただの夢かもしれな
い。ただの夢だという気がしてくる。
「……ううう」
うなる千尋の傍らで、天鹿児弓がまたりぃん、と音を立てた。その音で思い出す。
そういえば、破魂刀たち(仮)が言っていた、神宝って何のことだろう。
千尋の持つ神宝というのは、おそらく天鹿児弓のことだろうと思うが、那岐が持っている
神宝というのがわからない。もしかして、鬼道に使っているあの御統はなにかとても大切
な宝物なのだろうか?
「………うううう」
うなっていてもしょうがない。
千尋は大きくのびを一つすると、立ち上がって着替えた。気分を変えよう。

やはりまだ朝が早いせいか、誰も船内を歩いていない。みな自分の部屋でまだ白河夜船と
見える。
千尋は堅庭へ足を向けた。
戸を開けると、さあっと風が吹き込んできた。秋の朝の清冽な風。落ち葉のにおい。
堅庭にもやっぱり誰もいないかしら、と足を一歩踏み出すと、…庭の一番端に、ぼんやり
と立っている人影が見えた。
金色の髪が、昇り始めたばかりの朝日にきらめいている。
「…那岐?」
うそぉ、という色を込めて名を呼ぶと、那岐が振り返って、こちらも驚いた顔をした。
「…千尋?」
「どうしたの、こんなに朝早く。…どうやって起きたの?」
「……どうやって、はないだろ」
……だって。
口にはしないけれど、「だ、っ、て」という顔をしてみせると、那岐がしかめつらでがし
がしと頭をかいた。
「…ちょっと、夢見が悪くてさ」
口をとがらせながら言われた言葉に、千尋はどきりとした。
霧の中。…影のような不吉な姿の男女。
「……霧の中で迷う夢でも、見た?」
「……!」
びく、と那岐の肩が大きく震える。
「…どうしてそれを…!」
「私も見たから」
千尋はあっさりと言う。
「…千尋も?」
「…そう。霧の中で迷って、…破魂刀に会った」
那岐の顔色が変わる。
「会った?…会ったって、どういうことだ?」
「…?那岐は会ってないの?…破魂刀が人の姿をしていて、話しかけてきたの」
「………」
那岐は腕を組んで考え込んでしまった。
「…那岐?」
「…僕がいつも見る夢では、霧の中に破魂刀の気配だけがある。…必死で追いかけるけど、
どうしても捕まえられない。まして、人の姿をした破魂刀というのには会ったことはない」
「……そう」
その理由は、でも、なんとなくわかる気がする。
「…きっと、那岐なら破魂刀の本質が見抜けるんだ」
「……は?」
「私にはわからなかった。…会って言葉を交わしても、なんだかぼんやりした印象しか持
てなかった。…だから、破魂刀は私の前には姿を現したんだと思う。きっと、那岐からは
必死で逃げているんだよ」
「なんだそれ」
那岐が不得要領な顔をする。
「私の勘だけど。でも当たってると思う。…那岐だって、捕まえれば破魂刀の謎が解ける
と思うから追いかけているんでしょう?」
「……それはまあ…」
見つけられる私と、見つけられない那岐。……見抜けない私と、見抜ける那岐。……一人
ずつではうまくいかない。
……そなたたちが、二人そろうなら。
そうだ。…破魂刀だってそう言っていたではないか。私たちの神宝がそろえば。……神宝?
「…ねえ、那岐。…神宝って、持ってる?」
「はあ?…何、いきなり」
「那岐がいつも詠唱のときに使っているその御統って、神様の宝物?」
「いや。…や、どうかな。…わからない。これは師匠の形見なんだ。もしかしたら宝物か
もしれないけど、…でもたぶん、鬼道使いなら大概持っている、普通の御統だと思う」
「…そう」
…そうか。
千尋が考え込むと、那岐がまたがしがしと頭をかいた。
「あのさあ、千尋。自分の中で完結するのやめてくれない?少し説明してよ」
「破魂刀に言われたの。私と那岐は神宝を持つから、私たち二人がそろえば、って」
「そろえば、何?」
「……そこが聞き取れなかったんだよね…」
「……駄目じゃん…」
はー、と那岐にため息をつかれて、千尋は何となく小さくなった。
「だって。…そこだけ小声だったんだもん。……でも、もしかしたら」
「もしかしたら?」
「二人がそろえば、…自分たちも、彼も、……れるかもしれない、って言ったの。自分た
ちっていうのは破魂刀自身のことだよね。…彼っていうのは」
千尋は那岐を見る。那岐は千尋を見返す。…わずかな沈黙があって、先に那岐が口を開い
た。
「……忍人か」
「だと思う。…だとすると」
「…僕たちが二人そろえば、破魂刀も忍人も」
「…助かる?」
「……」
「……」
那岐の瞳に強い光が宿る。きっと千尋の瞳にも今、力がわいている。
「確かじゃないんだよね」
「確かじゃないけどね」
「…でも、神宝が何か、探してみる価値はある」
「私のはわかってるよ。天鹿児弓」
「だろうな。…あとは僕の神宝か……」
心当たりがないなあ……。
また沈んだ雰囲気になる那岐に、千尋はあわてる。
「そんなに簡単にあきらめないでよ。…私一人じゃ駄目なんだから。…二人そろえば、っ
て破魂刀も言ってるんだし」
「……そうだけど」
那岐はうなって、黙り込んでしまった。
……ああ、最近いつも見る那岐だ、と千尋は思う。いったい何を考え込んでいたんだろう
と思っていたけれど、忍人さんのことを、考えていたんだ。……破魂刀が忍人さんの魂を
削っていることに気付いて、…なんとかしてそれを止めようと、ずっと考えていたんだ。
異世界でもずっと一緒にいたけれど、那岐はいつだってあまり人と関わることが好きでは
なかった。…いつだって一歩後ろに、いつだって、人の輪には踏み込まずに。誰かと顔見
知り以上の知り合いになることを避けているようにさえ見えた。
でも、忍人さんには踏み込んでいこうと思っているんだね。…なんとかして助けたいと、
助けるための方法を探したいと思っているんだね。夢の中で惑うほど。
千尋は、微笑んだ。…うつむいている那岐には見えていない。
私も助けたいよ、那岐。…私も、忍人さんを助けたい。
…だから。…一人で膝を抱えないで。……一緒に、さがそう。
「私ね。…夢があるの」
唐突に千尋が話し出すと、ようやく那岐が顔を上げた。
「…はあ?なに、いきなり」
いつもの那岐の口調だ。
「私が女王陛下になって、おばさんになって、おばあさんになって。…おばあさんなのに
仕事は忙しくて、もうやだ、って、那岐に頼んで鬼道の力で宮から抜け出させてもらうの」
「…じいさんになった僕を巻き込むなよ……。…僕は、年取ったら縁側でひなたぼっこし
て暮らすんだから」
「混ぜ返さないでよ。そもそもこの世界に縁側なんてないよ、那岐」
「僕は作るの。…てか、どっちが混ぜ返してるんだか。…で、宮から抜け出して、それで?」
「でね、さんざん遊んで帰ってきてから、おじいさんになった忍人さんにがみがみしから
れるの、二人で」
ふふふ。千尋が笑うと、那岐は額を押さえる。
「つかぬ事を聞くけどさ、千尋。…君、それ、楽しいの?」
「すっごく楽しい!考えるとわくわくする」
力一杯答えると、また那岐が頭を抱えた。
「………。…千尋の趣味は屈折していてよくわからない…」
「そうかなあ。楽しいと思うんだけどなあ。…おじいさんになった忍人さんのお説教って、
きっとかなり磨きがかかってて、女王だろうが最強の鬼道使いだろうが容赦なし、って感
じだと思うんだけど」
「……だからなんでそれが楽しいんだ…」
「いいの。おじいさんの忍人さんを想像するのが楽しいの」
那岐の肩が、はっと震えた。おそるおそる、ともとれる動きで、千尋を見る。千尋はにっ
こりと那岐に笑いかけた。
「…ね?…那岐も想像してみて。…楽しいよ」
「……千尋」
「だから協力して。…二人で見つけよう」
……あの人を、助けるすべを。
…たとえそれが本人の望みだったとしても、忍人の犠牲の上に成り立つ国などほしくない。
戦い傷つくことは仕方がない。けれど勝って手に入れた国なら。…最後までともに見届け
てほしい。その行く末を。その国の平和を。
人は欲深じゃ、と破魂刀たちは言うだろう。…言われてもかまわない。国を取り戻し、大
切な仲間を守る。それが私の望み。たった一つの望み。
「じじいの忍人に怒られる方法を?」
「そうだよ」
那岐は唇をゆがめて、…笑い出した。笑い出すと止まらなくなったようで、げらげら笑う。
「いいね、それ」
目尻に涙まで浮かべて。那岐は言った。
「探そう。見つけよう。……今はまだ、それがなにかわからないけど」
神宝に、心当たりはないけれど。
「きっとまだ時間はある。…まだあるよ。…だから」
あきらめないで。
堅庭の扉が開く気配に、二人ははっとして後ろを振り返った。
大股に堅庭に入ってきた忍人は、二人の姿を見て一瞬ぎょっとなって足を止めた。
「忍人さん?」
千尋が呼びかけると、我に返った様子で、また大股に歩いて近づいてくる。
「どうかしました?」
「それはこちらの言うことだ。…どうした?…君たち二人がこんな時間に起きているなん
て」
さっき見せた動揺はそぶりも感じさせずに、忍人が軽口をたたく。…それとも、二人が起
きていたから驚いただけだろうか?…それだけで、あんなに驚くだろうか。
「僕たちだって、たまには早起きするさ」
「一緒にしないでよ、那岐。…私はいつもそんなに」
「どうせ千尋だって、僕よりは、って程度だろ。だから忍人だって、君たちって複数扱い
なんだ」
うっ。
否定できずに千尋が口ごもると、忍人が珍しいことに吹き出した。
「うわあ。忍人が爆笑してる。今日は雪が降るね」
「…というか、那岐が早起きしてる時点で、今日は吹雪だと思うよ…」
「千尋には言われたくないなあ」
「ひどーい」
掛け合いに、忍人は笑い止めるきっかけがつかめないようだ。声を上げてげらげらとは笑
わないものの、肩をふるわせてずっと喉声で笑い続けている。その姿を見ているとおかし
くなってきて、那岐と千尋も一瞬顔を見合わせ、笑い出した。
二人の笑い声が高らかに響く。昇りきった朝日が堅庭の全てを金色に染めた。


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