刀の風

サザキが堅庭に出ると先客がいた。
その男はぼんやりと壁にもたれていた。…空を見ているのかと思ったらそうでもないらし
い。焦点の合わない瞳で、ただぼんやりとどこかを見ている。
「堅庭で会うのは久しぶりだな、柊」
通る声で話しかけると、柊は眼帯に隠されていない方の目でちらりとサザキを見て、うっ
すら笑ってみせた。
「そうですね。…私も結構ここに立ち寄るのですが、あまりお会いしませんね」
「結構って言うほど来てるかあ?」
がしがし、とサザキは頭をかいてから、ぽん、と一つ手をたたいた。
「…ああ、そうか。俺がここに来るような時間には、たいてい忍人もここでぼんやりして
いるからな。今日は兵ども引き連れて訓練だっけか」
柊は色のない声で言った。
「なんのことです」
「何のことですって。…言葉の通りだ。お前のことを露骨に毛嫌いしてんのは忍人の方だ
けど、あいつは別に、お前と二人きりになることを避けたりしない。忍人と二人きりにな
るのを避けたがるのはお前の方だろ、柊」
「……」
柊は何も応じない。
サザキは片羽をばさりと動かして、風を起こした。
「ま、いいさ」
サザキの羽が起こした風が、柊の髪を乱したが、彼は微動だにしない。サザキは肩をすく
め、話をそらした。
「しっかし、星の一族の奴に会って、おまけに同じ船に乗ることになるとは思わなかった
なあ」
「…は?」
柊がサザキの言葉に反応する。
「日向の一族じゃ、星の一族は月読の一族と一緒で、幻の一族だと言われてるんだ。俺が
覚えているのは輝血の大蛇の語りくらいだが、そこに出てくる言葉はこうだぜ。…星の一
族は、災厄の直前に現れて、災厄を予言し、災厄と共に消える」
柊は露骨に厭そうな、…どこか芝居がかって見えるほど厭そうな顔をして見せた。
「それじゃあまるで、うちの一族が災厄を運んでくるみたいじゃないですか」
「日向の子供たちは結構みんなそう思いこんで育つんだぜ。何か悪いことしたら、星の一
族が現れるよ、なんて脅し文句を使う親もいるくらいだ」
柊をのぞき込んで、そのむっとしたそぶりの顔を確かめ、サザキは呵々と笑った。
「わざとらしいしかめ面すんなよ。子供のうわさ話の類だぜ?」
それから肩をすくめる。
「…大人から見りゃ、一族にとっての災厄を運んでくるのは、見たこともない星の一族じ
ゃなくて俺さ。守り神様は売っぱらっちまうし、そうかと思えば、守り神様ごとこんなと
ころまで飛んできちまうしよー」
はあ、とわざとらしいため息をついて。
「朱雀に、なんとかして元の場所に戻ってもらうわけにはいかねーかなー」
柊がゆるゆると口を開いた。
「…ことが終われば、朱雀はまた君たちの守り神に戻りますよ。…それは心配いりません」
サザキは片眉を上げる。
「…それは、お前の力か?」
「は?」
「あー、つまり、…未来を見たのか、ってことさ」
柊は苦笑した。
「未来を見たわけじゃありませんよ。…そうですね、そういう意味では、ただの勘、かな。
ただ、朱雀は本来が日向の守り神ですから。今は非常事態なのと、加護を与えた君や那岐
を気にして、一緒に来てくれているだけでしょう」
「なんだ、そうか」
サザキがほっとして胸をなで下ろすのを見て、柊は少し優しい笑みを浮かべる。
「君はしかし、一族思いですね」
サザキはまたがしがし頭をかいた。
「一族思いというか、…俺は仲間が大事なだけだ。海賊はみんなそうなんだ。…けど、そ
うか。…お前も、何でもかんでも未来を見て答えているわけじゃないんだな」
柊は一瞬目をすがめたが、すぐいつも通りの飄々とした顔になった。
「四六時中、未来ばかり見ているわけにはいきませんからね。…君だって、一日中風ばか
り見ているわけではないでしょう?」
「そりゃそうだ」
サザキもぷっと笑う。
「…見える未来は、選べませんしね」
サザキの明るい声に釣られたか、ふと、柊は漏らした。その一言に、サザキは即座に反応
する。
「なんだ、そうなのか?…じゃあ、こいつの未来はどうなんだ、って聞いてもわからない
のか」
柊が警戒するのが、サザキにもわかった。
「…何か、知りたい未来でも?」
返答はそつがないが、一瞬で壁が出来た気がする。
「…や、知りたいというか、…むしろ知りたくないというか」
サザキは首をかしげた。
…それからもう一度逆に。
……そうして。…球を投げてみることにした。
「俺はさあ、忍人の刀が起こす風があまり好きじゃないんだよ」
そう言って柊を伺う。…柊の反応はない。肩をすくめて、サザキは話を続けた。
「ま、武器の起こす風はどれもこれも腥いから、好きだってやつもあんまりいないと思う
けどな。布都彦の槍だって、遠夜の鎌だって、起こす風は血腥いさ。だが、忍人の刀が起
こす風は、血腥いだけとはちがうんだ」
いつもじゃない。時々だ。時々だが。
「風が、黒い人の形をしている」
サザキはその瞬間、話を続けながら柊の様子をうかがった。だが彼は、まつげ一筋も動か
さなかった。
「……」
サザキは軽く目を閉じ、そのまま話を続ける。
「その黒い人影は、すうっと稲穂を刈り取るように人の何かを刈り取って、忍人に戻る。
刀から出てくるのに忍人に戻るんだ」
サザキはふいと押し黙った。柊は冷徹な眼差しで前を見ていたが、…サザキの声が続かな
いと見て、ふらりと視線がサザキに向いた。
サザキは、うすく笑う。
「驚かないな、柊」
「驚いていますよ。日向の一族に風を見る力があることは知っていましたが、そんなもの
まで見えるとは」
「……」
サザキは柊をかすかににらんだ。
「…サザキ?」
「いや。…そうさ、見える。…もっとも、今までそんなものを見たことはなかったんだが
な。忍人の刀が特別なのか、守り神さんの加護とやらのおかげで力が強くなってんのか」
たぶん、守り神さんの力なんだろうなあ。
サザキが羽をばさりと広げると、抜け羽がふわりと地面に落ちた。そのつややかな栃の実
色の羽をくるくると回す。
「でないと説明がつかねえよな。カリガネはそんなもの見えないと言ってるし。ただ、不
吉な風だということしかわからないって」
「たぶん、朱雀の力でしょうね。…朱雀という神は人が好きで、人と関わることを好むと
聞いています。…君に、何かを伝えたいのでしょう」
柊はサザキでなくくるくる回る羽を見ながら言葉をつづる。
「…お前は?」
サザキは彼には珍しく静かな声で言った。
「…?」
「お前はどうなんだ。お前は知っているんだろう?」
サザキは親指の爪をかむ。
「お前は俺の話に驚かなかった。話を上手くそらした。…お前は、忍人の刀のことも忍人
の未来も知っている」
「…それがなんだと言うんです」
いっそ、突き放したような物言いだった。
「星の一族は未来を見ることは出来ますが、未来を変えることは出来ません」
「星の一族には出来ないのかもしれない。だが、未来を変えられる奴はいる。…そういう
奴に、伝えようとは思わないのか。自分が知ることを」
「未来を変えられる人間、ね」
柊は皮肉に笑った。
「それはどんな人間です?…君ですか?」
「未来を変えられるのは、未来を変えられると信じている奴だ」
「…!」
サザキはばさりと羽を広げた。
「…柊。この世に動かないものなんかない。大地だって時には揺れるし、守り神さんの磐
座だって空を飛ぶ。北にあって、決して動かないと思われているあの星だって、他の星が
天を横切る間に指の幅一本分くらいは動いている」
サザキは堅庭の端を指した。
いつも忍人が立っているところ。そして、那岐の隠れ家がその下にあるところ。
「那岐は、忍人のためにたぶん何かをやろうとしている。あいつはきっと、何かを変える」
そして、にぃ、っと、あの人好きのする笑顔でサザキは柊に笑いかけた。
「一度何かが動かなかったからって、二度目もそうだと思うなよ」
初めて柊の顔にぎょっとした色が走る。
「…!サザキ、…一体何を…!」
「お前のその目」
サザキは柊の眼帯に包まれている方の目を力強い指でまっすぐに指さした。
「ない方の目。…いつも風が吹いてくるぜ」
に。と。また笑う。
「気付いてないだろう、お前」
「…風……?」
呆然と柊は呟く。
「何、…何の風だと…」
「教えてやーらーねえ」
手を伸ばしかけた柊から、ふわりと空へ飛び上がってサザキは逃げる。
「お、忍人が兵たちつれて帰ってきた。…うわあ、またしごいたなあ。みんなへろへろだ
ぜぇ」
柊はびくりとする。もう一度だけ、上空に逃げたサザキをちらりと見てから、何か思い詰
めたように眉を寄せ、だがそのまま何も言わずに、彼は堅庭を後にした。
「…ありゃ。…逃げちまった」
先に逃げたのは自分のくせに、サザキはへろりとそんなことを言う。
堅庭に、忍人が入ってきた。すぐに気配を取ったか、上を見上げてくる。
「…サザキ。…なんだ、空を飛んで」
彼は基本的に、まっすぐ人を見て話す。…サザキはそこがとても好きだ。お堅くて口うる
さいのは好きではないが、このまっすぐな目は悪くない、と思っている。
…彼の持つ刀がどれほど不吉なものであっても。
「少し飛びたくなったんだ」
ぱさりと庭に降りて、サザキは、くん、と鼻をうごめかした。
「なんか、いいにおいがする。…お日様に照らされた花みたいなにおいだな」
「……汗臭いならともかく、そんなにおいはしないと思うが…」
と言いながら、真面目に自分のにおいをかいでみる忍人がおかしい。
「…汗臭いだけだが」
「お前自身のにおいってより、お前の周りに吹いてる風のにおいなんだな。…今日の鍛錬
の場所に花でも咲いてたんだろう」
忍人は少し首をかしげた。
「…咲いていた、気もするな。黄色い小さい花が」
「それだ、それ」
言いながらサザキは思う。
…柊の失われた目から吹いてくる風も、お日様に暖められた花の香りがする。
…桃の花?
いや、いいや。今はそのことは。…ただ、いつか、それを柊に告げる日があるといい。
「ああ、なんか喉が渇いた。…カリガネに茶をもらいに行こう。お前も来いよ、忍人」
「いや、俺は…」
「いいから来い!」
サザキは忍人の腕を掴んで歩き出した。
「サザキ、ついて行くから放してくれ」
忍人の文句はきいてやらない。
口笛吹きながら、サザキは回廊への道を意気揚々と歩いていった。


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