瑠璃の勾玉
遠夜は、よく、回廊の隅っこで背中を丸めている。そして何か手先を動かしている。
たいていは薬を作っているようなのだが、たまに、薬研も何も手にしていないことがある。
そういうときはたいてい、何か小さいものを一生懸命磨いている。すらりとした背中を丸
めて、一心不乱に磨いている。千尋がいなければ意思疎通もままならないので、彼が熱中
しているときは、用事がなければみな素通りするのが常だったが、この男だけは違った。
「…何やってんだ、遠夜?」
大きな声で話しかけられて、遠夜がびくりとして顔を上げると、サザキが満開の笑顔で遠
夜の手元をのぞき込んでいる。
彼は、遠夜が話せないことも異種族であることもあまり頓着しない。一つには、自分たち
自身がまつろわぬ民であるせいもあるだろうが、もう一つには彼の並外れた人好きの性格
のためもあろうかと思われた。とにかく、誰かが一人きりでいると声をかけたくて仕方が
ないのである。おもな餌食は那岐と遠夜だ。柊は、書庫以外ではあまり一人でいることが
ないからである。サザキは死んでも書庫には近寄らない。頭が痛くなって死ぬ、とか言い
出す。
遠夜は自分が土蜘蛛であるという引け目をのぞけば、元来あまり他人を避けるタイプでは
ないらしい。だから、那岐ほど露骨にサザキを避けることもしないのだが、この何かを磨
く作業の時だけは別だった。あわてふためいた様子で手元を隠し、じりじりとサザキから
後ずさろうとする。サザキは大仰に手を広げ、翼も広げて慨嘆してみせた。
「そんなにおびえられると、傷つくなあ、俺」
わざとらしい言い方に、傍らのカリガネなどは額を押さえているのだが、遠夜はびくりと
肩をふるわせ、後ずさるのをやめた。
「さっきから何度か通りかかってるんだが、ずいぶん根をつめてるみたいじゃないか。…
何やってるんだ?」
遠夜はやや逡巡し、それでもまたサザキに傷つくと言われることを恐れたのか、そろそろ
と手元を少しだけ開いてみせた。
手のひらに、丸い石がぽつんとのっている。
サザキが少し目をすがめた。
「…なあ。…それ、ちょっと俺に見せてくれないか、遠夜…って」
言ったとたんに遠夜ががば、と石を握りしめて後ろ手に回してしまったので、思わずサザ
キは苦笑した。
「そんなに警戒するなよ。盗ったりしないから…て、…まあなあ、海賊の俺がそう言って
も信用ないか」
がしがしがし、とサザキが燃え上がる炎のような髪をかきむしって、ため息を一つついた。
それから、遠夜の瞳をまっすぐにのぞき込む。
「確かに俺は海賊だ。…お宝を奪うのが仕事だ。…でもな、海賊は決して、仲間から宝を
奪ったりしない。それが海賊の仁義ってもんだ」
遠夜は玻璃の玉のような瞳をまんまるに見開いて、じっとサザキの瞳をのぞき込み返す。
「まあ、今すぐに俺の言葉を信じろとは言わない。…だが、俺は絶対、お前のその宝を盗
らない。…たださ、気になることがあるから、少し確かめたいんだ。…遠夜、お前がその
石を指でもって、俺があっちからもこっちからもその石を見られるようにしてくれない
か?」
諄々と説かれて心が動いたか、遠夜はゆっくりとうなずくと、石を左手の親指と人差し指
ではさんで、サザキの目の前に差し出して見せた。サザキは後ろや横をのぞき込むように
しながら、じっとその石を眺めて、…やがて得心がいったように、ありがとうな、と一言
呟いた。
「やっぱりそうだ。…その石、瑠璃だな」
「……?」
遠夜が首をかしげる。
「あ?知ってて磨いてるんじゃないのか?…てか、…そうか、俺たちの言葉とは言葉が違
うのかな。…その石を磨いて出てくる玉のことを、俺たちは瑠璃と呼ぶんだ」
遠夜はもう一度、今度は逆の方向に首をかしげて、あたりをかすか見渡した。ややあって、
ふわりと微笑むと、カリガネの胸元を指さす。その首環の、玉ではなく、つづられている
環の方を。
サザキとカリガネは、遠夜が指さしている環の色合いを見て、うん、とうなずきあった。
「ああ、そうだ。…こいつのは瑠璃じゃなく、瑠璃に似せた玻璃だがな。その石を磨くと、
たしかに、こういう色の玉になる」
それから、サザキはまた遠夜の手元に顔を近づけて、むーん、と片眼をすがめた。
「…で、さあ。…俺の見間違いかもしれねえし、…もうお前がずいぶん磨いて形が変わっ
ちまってるけど、…その石、もしかして、あの気多の浜のウミガメの巣の中に、卵と一緒
に入ってなかったか?」
びくん、と遠夜がまたはじかれたように震えた。目をぱちぱちさせて、サザキをまじまじ
と見る。
「…だろう?」
念を押されて、こくこくと遠夜は縦に首を振った。
そのそぶりを見れば、千尋の翻訳はいらない。
「どうしてわかったのか、って聞きたいのか?」
こっくん。
「そりゃ、決まってる。巣の中をのぞいたとき、あれっと思ったからさ」
サザキは、もういいぜ、と遠夜の手にそっと石を握りしめさせ、鷹揚に笑った。
「みんな珊瑚に気を取られていたし、見ようによっちゃ、砂にまみれた卵にも見えたから
な。他の奴らはあまり気にとめなかったろうが、俺は海賊だ。…お宝の気配にも、磨けば
宝になるものの気配にも聡いんだ」
ふふん、と胸を張るサザキの横で、カリガネは、見誤ることも多いがな、とぼそりと言う。
「うるせーな。…でも、俺はともかく、お前が見つけて、しかもちゃっかり持ってきてる
とはなあ。たいしたもんだ。海賊の素質あるぞ、遠夜」
だが、遠夜はそのサザキの言葉にあわてた様子で首を横に振った。
「あ?謙遜すんなよ。あるって、海賊の素質」
その言葉にも、もう一度遠夜は首を振る。そして、身振り手振りで話し始めた。…遠くの
何かを指さし、片手を顔の前に出して何かを頼むそぶり、自分を指さしてうなずくそぶり。
「……?」
「……?」
サザキは一瞬カリガネを振り返った。カリガネも、遠夜の意図を悟ろうと、目をすがめる
ようにしてそのそぶりを見ている。サザキがもう一度遠夜に向き直ると、遠夜がもう一度
同じ所作を繰り返す。
「……」
サザキはゆっくりと、口を開いた。
「…間違ってたらすまん。…誰かが、お前に頼んだ、っていうのか?それを持って行くこ
とを?」
こくこくこく、と遠夜ははげしくうなずいた。
「…誰が?…あのとき、あの場所にいた奴らで、他にその石に気付いてそうな奴はいなか
ったが…」
んーと、とうなってから。
「…まさか、と思うが、…亀がか?」
サザキの言葉にうなずきかけて、遠夜も一瞬逡巡した。そうかもしれないし、そうでない
かもしれない、という様子だ。
「…亀かもしれないし」
「…亀に姿を託した、別の何者かかもしれないな」
サザキの言葉の後をカリガネが引き取った。遠夜は二人を等分に見て、こくん、と一つ大
きくうなずく。
「他の奴が言ったんなら、なんだそりゃ、って俺も言うが、…なにしろ遠夜が言うことだ
からなあ。そうなんだろうなあ」
「磨くことも、頼まれたのか?」
慨嘆するサザキの横で、珍しく、カリガネが話をすすめた。遠夜はうなずく。磨くそぶり
をして、はっとするそぶり。誰かに手渡すそぶり。
「磨いて形が生まれれば」
「誰に渡せばいいのか、誰のために託されたのかがわかる。…そういうことなんだろうな」
今度は、カリガネの言葉の後をサザキが引き取る。
「…ちゃんと渡してやれるといいな」
カリガネは言って、ぽん、と遠夜の頭をなでた。遠夜がくすぐったそうに笑う。
その後ろを、抜き足差し足で通ろうとしていた人影に、サザキが言った。
「そこの鬼道使いー。こそこそすんなー」
「べ、別にこそこそなんか、って…あれ、遠夜?」
サザキとカリガネの羽で見えていなかったらしい。那岐がひょっこりと首をのぞかせた。
「遠夜、つかまってんの?かわいそうに」
「かわいそうにとはなんだ。俺たちが楽しい会話をしているのに。お前も参加しろ」
「会話…って」
那岐は遠夜とサザキとカリガネを等分に見比べる。
「身振り手振りだけでもけっこう通じるもんだぜ。試してみろよ。…自慢じゃないが、俺
はしゃべらない奴との会話は得意だ」
「………ああ」
那岐が思わずカリガネを見ると、カリガネが、俺じゃない、と首を横に振った。
「ヤタガラスのことだ」
が、サザキはけろりと言う。
「や、この場合はお前のことも含んでるんだけどさ」
「………」
無言でむっとしているカリガネを尻目に、サザキは遠夜の肩をぽんとたたいた。
「遠夜は無口だが素直だ。だからわかりやすい。…俺は、言葉数が多くても、柊の考えて
ることの方がわかりにくいね」
うーん、それはそうかも、と那岐はうなる。…ふと、視線を感じて傍らを見ると、遠夜が
まじまじと那岐の首からかけた勾玉を見つめていた。
「…何?遠夜」
遠夜はあわてた様子で首を横に振る。サザキが横から、
「こいつ今、玉を磨いてるんだってさ」
と教えた。
「どんな形になるかまだわからないんだと。…お前の勾玉を見て、参考にでもしようと思
ったんじゃないか?」
そうなのか?と那岐が遠夜を見ると、遠夜はやや曖昧な様子ながら、おっとりと笑い、磨
きかけの石を示してみせる。
「千尋にあげるのか?」
遠夜は首をかしげる。
「それもわからないんだとさ」
またサザキが説明を入れた。
「…うーん、なるほど。…今のはサザキの説明がなくてもなんとなくわかったなあ」
那岐は腕を組んだ。
「僕、遠夜に聞いてみたいことがあったんだよね」
何?と遠夜がまた首をかしげる。もうサザキは通訳しない。カリガネもかすかに微笑んで
眺めている。
「土蜘蛛の術って、僕らが使うのと少し違うだろう。具体的にどう違うのか、聞いてみた
くてさ。今度教えてよ」
遠夜は、教えるという言葉に少しくすぐったそうに首をすくめたが、ふわ、と花が開くよ
うに笑ってうなずいた。代わりに、と言いたげに、那岐の首飾りを示し、手にとって眺め
る様子をしてみせる。
「これ?近くで見てみたいって?…いいよ。いつでも。…あ、でも、海賊のいないところ
で改めて」
「おーれーは、仲間のものはとらないぞぉ!失敬な!」
カリガネがくっくっと笑い出した。遠夜も笑う。那岐も笑った。サザキ一人むっとしてい
たが、やがて笑い出す。
回廊に朗らかな笑い声がこだました。
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