第五章 過去に降る雪

その日忍人は、道臣の手伝いをして屋敷の冬支度のための買い出しに行った。冬場は岩長
姫の所領から届く新鮮な作物が少し減るので、干し魚などを市が立つ日に買いだめしなけ
ればならない。
重い荷物を抱えて二人で戻って、倉庫に収めていると、背後でばん、と扉が開く音がして、
どさりと何か重いものが床に置かれた。
振り返ると、羽張彦がにっと笑って薪を下ろしたところだった。
「これは、炊事の焚き付け用だ」
道臣と忍人が買い出しに行っている間に、羽張彦と風早、柊は薪を作る手はずになってい
た。薪置き場は屋敷の外側にあるが、炊事の焚き付け用に二束三束、倉庫に置いておくの
が慣例になっている。
「片付きましたか?」
穏やかに道臣が問うと、
「あと少しだな。…今は風早がやっているから、俺が戻る頃には終わっているだろう」
羽張彦もゆったりと答えて、それからぶるりと身を震わせた。
「…冷えるなあ」
つられて思わず、忍人も身を震わせた。道臣は空を見上げる。
「雪になりそうですね。そんな雲行きです」
「道臣殿もそう思うか?柊も降りそうだと言ってた。…こりゃ確実に降るなあ」
顔をしかめてそう言ってから、ふと、羽張彦はくるんと首を回した。斜め上を見上げたと
きに、悪戯っぽい瞳が何かを見つけた様子で輝く。
「…知ってるか?」
唐突に彼は、忍人の瞳をのぞき込んできた。
「初雪の一番最初のひとひらをつかまえた奴は、幸運が訪れるんだと」
「…へえ」
忍人が淡白に答えると、羽張彦は拍子抜けした顔になる。
「ありゃ。なんだ忍人、のりが悪いな」
「どうせ、なあ、つかまえてみようぜ、と言うのだろう?」
一瞬羽張彦が言葉に詰まった。
「……うん」
彼が素直にうなずいたところに、忍人はたたみかける。
「自分一人でやるのは寂しいから、俺をつきあわせようと思っているんだろう?」
「……」
むぐ、という顔をした羽張彦を見て、ぷっと道臣が吹き出す。その音に弾かれたかのよう
に、羽張彦はぶんぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことは!」
「そんなことは?」
「そんなことは、…少しだけ思ったけど、少しだけだ!」
…語るに落ちている。
「少しでもたくさんでも思っていたら一緒だ」
年下の子供に真面目に諭されて、羽張彦はがくりと肩を落とした。道臣は、こらえきれず
にくすくすくすくす笑った。あまり笑っては羽張彦に気の毒だと思うのでこらえたいのだ
が、押さえた手の隙間から笑い声が出て行ってしまうのだ。不可抗力だ。
「……うう」
しょげかえった羽張彦を見て、忍人がはあ、とため息をついた。
「…しかたがないから、…つきあう」
「…へ?」
がば、と羽張彦が顔を上げた。
「忍人、今なんて?」
「つきあう、と言ったんだ。何度も聞かないでくれ」
意外さに、道臣の笑いも引っ込んだ。
「てっきり、そんなことをするなと諫めるのかと思いましたよ」
何度か瞬きながら道臣が問うと、忍人はなんとも言えない顔で道臣を見上げてきた。…自
分でもどうしてそう言ってしまったのかわからないと困惑しているような、道臣に改めて
問われたことを拗ねるような。
「するなと言ってもどうせ羽張彦はするのだろう。…つきあう相手がいなかったらかわい
そうだから」
照れ隠しともとれるその言葉に、ぱあっと羽張彦の顔が輝いた。
「なんだ!やっぱり忍人もやりたかったんじゃないか!素直じゃないなあ!」
むっとして忍人が言い返す。
「ちがう!羽張彦がかわいそうだからつきあうんだ!」
「照れるな照れるな」
羽張彦は急にご機嫌になってしまって、忍人の頭を抱え込むとぐりぐりぐりとなで回す。
やめてくれないか!と忍人が怒っているのにかまいもしない。
忍人の眉間に寄ったしわが三本に増えたのを見て、道臣は慌てて羽張彦の腕にそっと手を
置いた。
「羽張彦、あまり忍人を怒らせると、つきあってもらえなくなりますよ。せっかく忍人が
その気になってくれたのに」
「あ、そりゃ困る」
ぱ、と突然放されてよろけた体は、道臣が受け止めた。ありがとう、と道臣に小声で礼を
言って忍人は体勢を立て直す。その目の高さに背を少しだけかがめて、羽張彦はまっすぐ
忍人の瞳を見た。
「忍人、それじゃ今晩だ。…約束だぞ。雪が降るまで寝るなよ?」
「…うん、約束だ」
まだ少し唇をとがらせて、それでも忍人が応じると、羽張彦は本当にうれしそうに朗らか
に笑った。
閉ざされた心すら開かせる、優しい太陽のようなあの笑い声で。


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