第六章 彼方に降る雪

「結局みんなつきあわされたんでしたっけね」
そう言って柊は、眼帯に隠されていない方の瞳を優しくすがめた。
「俺も君も、道臣殿までね。みんなつきあいがいい」
応じたのは風早だ。
天鳥船の書庫には二人の姿しかない。元々夜半に書庫を訪なう者が少ないのだ。
「それなのに雪はちっとも降らなくて、夜が更けきったところで忍人も羽張彦もこくりこ
くり船を漕ぎはじめてね」
風早が苦笑気味に言うと、
「冬中の薪作りと大きな買い出しをした日でしたから、仕方がありません」
珍しく柊が取りなすようなことを言った。…が、元々彼の言葉ではない。
「…そう言って、道臣殿が二人を諫めて、なんとか起きている間に寝かしつけたんだった
ね。…あれは助かったなあ。忍人はともかく、羽張彦に外で寝られたら、部屋まで連れ帰
るのが重たくて仕方がない」
「結構力持ちのあなたの言葉とは思えませんね」
「みんないつもそう言って俺に押しつけていたよね。…本当に重かったんだよ、羽張彦は。
骨もしっかりしているし、筋肉もついているし」
「はいはい、いつもあなたに頼ってすいませんでした」
顔を見合わせて、くす、と二人、笑い合う。それから柊は風早から目をそらし、かすかに
雪灯りのもれる明かり取りの窓を見上げた。
「朝起きたらやっぱり予想通り雪が降っていて、羽張彦が悔しがって悔しがって」
「忍人も悔しがっていたよ。…珍しく顔に出ていた」
「また今度、と言って道臣殿が慰めていましたが」
「…その、また今度、が結局なかった」
いや、雪は降った。毎年変わらずに降った。けれど、五人で初雪を待つ機会は結局なかっ
た。なぜか必ず、初雪の時分になると誰かがその場にいなかったのだ。
「そもそも言い出しっぺを欠いては、こういうことは盛り上がらないしね」
「…言い出した、といえば」
柊の穏やかだった瞳がふと、暗くなった。明かり取りの窓を見上げるのを止めて、風早に
向き直る。
「あれはあなたが言い出した話でしたね、風早」
「…何が?」
「初雪の一番最初のひとひらをつかまえると、幸せになる、という話ですよ」
「……あれ?……そうだったっけ?」
「そうでしたよ」
風早の瞳の穏やかさは変わらない。苦笑すら浮かべている。
「どこで聞いた話です?」
まるで交代のように、今度は風早が柊から視線をそらして、明かり取りの窓を見上げた。
ぼんやりと薄青い光がかすかにもれてくる。
「…どこだったかな。…もう忘れてしまったよ」
ふう、と柊が吐息をつく。
「…遠い、遠いところの話なのでしょう、どうせ」
「……そうだね」
風早は窓を見上げたまま言う。
「遠いところだ。時間も場所も、ここから遠く離れたところの」
「……」
「……」
書庫の中に、沈黙が満ちた。そうして話し声が途切れると、ぱらぱらと雪が船体を打つ音
が聞こえてくる。雪は思いがけず、本降りになったらしい。この分では明日の朝には積も
っているだろう。
かすかに雪の音を聞きながら、柊は少しうつむいている。風早は窓を見上げている。
やがて、柊が沈黙を破った。
「…そんな昔話をしに、ここへ?」
「いや」
風早は夢から覚めたような顔をした。
「…忍人がふらりと外へ出たきり戻らないようだから、一緒に迎えに行こうと君を誘いに
来たんだけどね。……俺一人で行くより、二人で行く方が忍人が嫌がりそうだから」
「…嫌がらせてどうするんですか」
ついうっかり、柊は喉で笑ってしまった。
「普通に迎えに行ったんじゃ、つまらないじゃないか」
風早も目で笑っている。…その笑みが、優しくて、どこかさびしいものにふと変わった。
「…でももう、俺たちよりふさわしい人が迎えに行ったみたいだ」
柊はふと眉を上げた。
「…そんなこと、わかりきっていたでしょう」
風早はしかし、首をすくめる。
「いや、忍人は船の外へ出て行ったし、寒いから、もしかしたら行かないかなと思ったん
だけど」
「行きますよ」
あっさりと風早の言葉を柊は否定した。
「…そうだね」
うなずいた風早がうつむくと、まるでまた入れ替わりのように、柊が窓を見上げて。
「高千穂にいた頃聞いた話ですがね。…初雪を恋人同士で見ると、幸せになるそうですよ」
「…恋人?」
「ええ。……なかなか、いい言い伝えだと思いませんか?」
風早は微笑んだ。…微笑んだがしかし、口に出しては何も言わなかった。



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